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◇
「なに、三陣がやられた!?」
青龍大将の櫻内が目をひん剥くのを、伝令の一年生はびくびくと恐れながら更に不本意な言葉を継がねばならなかった。
「はい、それから大変申し上げにくいのですが、三陣についで二陣もたった今敵に落ちました!」
「───なんと!」
この四陣の他は全滅───。
青い龍が名の如く青ざめてがっくりと櫻内は机に両手をついた。
「大将!周囲をぞくぞくと敵兵が囲みはじめております!」
「───!」
これぞ──四面楚歌。
確かに兵隊、機動、戦法、すべてにおいて軍師桐生に勝ろうなどと思ってはいなかった。
しかし、その胸こそ借りようとも、これほどの大差がつくとも予期しなかった。
これもすべて大将たる者の統率力の違いか──。
先輩とはいえ、たった一年しか歳のひらきはないというのに。
「…………」
手を置いた机の節のあいだに桐生の涼やかな顔が浮かぶのを目を閉じて消した櫻内は、ポンと肩に置かれた手の重みに振り返った。
「なに櫻内、お前が責任を感じることはないぞ、こっちはほとんど下級生だけで戦ったのだ。
善戦した方だ!」
「ああそうとも。来年こそはまたお前を大将にして勝ってやるさ!」
「……お前ら」
折れた御大将を口々に慰める仲間たちをぐるりと見た櫻内は「馬鹿野郎」と照れ笑いの口を引き締めた。
「何だ何だお前ら!まだ負けると決まったわけじゃねえ!」
「お、おおお!」
そうだ。いくら三年生の尽力を欠いていたとはいえ、自分のためにこんなに多くの仲間と一年生が頑張ってくれたんだ。こんなところで敗戦ムードに悲観してる場合じゃない。
「よし、ではこちらこそ最後の総攻撃と行くか!馬はどれだけ残っている!?」
「おう、確認してくる!待ってろ、……っと!」
参謀本部の天幕をくぐり外へ出ようとした者が何やら出入口の喧噪に「おおっ!」と声を上げた。
「九条じゃないか!」
「九条!どうしたその格好は!怪我をしてるのか!」
「なんだボロボロじゃないか!そんなんでよく来れたな!」
「おいっ、櫻内、九条が来たぞーっ!」
【────!】
櫻内は結わえた髪の先をなびかせて振り返った。
「……………秀!」
櫻内が見た九条は、照れたような、拗ねたような、それでいて櫻内のふがいなさを責めているような少し高慢な目をして、長い旅からやっと自分の元へ還ってきてやった、そんな表情をしているように思えた。
そして九条の口から出た言葉には、周りの者も一斉に苦笑した。
「助けに来たぜ、項羽」
「……………!」
それでも思わず駆け寄って九条の身体を抱き締めてしまう自分はなんて情けない大将だと、櫻内は思った。
「……馬鹿!……遅えよ…」
朝 別れたばかりで、半日すら経っていないというのにこんな抱擁をする俺を、
お前はきっとまた後で酷く叱るんだろう。
ほら、お前の肩を叩いていた周りのやつらも遠慮して一人二人と席を外してゆく。
そんなのをお前は一番嫌うもんな。
それでも、もう少し抱かせてほしい。
情けない大将だと殴り飛ばされるのだって覚悟しているから……。
「…………!」
だが、櫻内に強く抱き締められた九条は、何も言わずに両腕を櫻内の背に回した。
**
九条も九条で、櫻内に会うまで自分のこれまでの経緯や傷の弁解を何と告げようと考えあぐね、いっそ外の守備についていようかとさえ思っていた。
だが、九条を見とめた仲間にあれよあれよと手を引かれ、やはりここまで来てしまった。
櫻内の陣営が壊滅寸前なのは火をみるより明らかだった。だからこんな満身創痍の奴が一人帰ってきたところで戦力に加わるどころかかえって迷惑になるだけで、しかも自分はただでさえ周りが妙な気をつかう寵姫扱い。
だけど
「………秀!」
その顔を見た途端
自分でも可笑しいくらいに喉が詰まってしまった。
これでは、先刻の狼藉者達が言ったとおりじゃないか。
あれだけ拒んだこの衣装、その背名の意が、言霊となってこの身に憑いたか?
虞や、虞よ、
──さて、おまえをどうしようか。
項羽はきっと、
困り果てた顔で虞美人を見下ろしたろう。
櫻内もたぶん、
同じような顔で俺を見るだろう。
だから九条は少し顎をあげて、精一杯に生意気な顔をして櫻内を見た。
俺はお前に庇護されるばかりの女じゃない。
「助けに来たぜ、項羽」
さぁ、思い切り迷惑な顔をすればいい。
そうしたら、俺はお前に背を向けて、ひとりで外へ行こう。
・・・
なのに。
「……馬鹿、遅えよ…!」
お前こそが泣きそうな顔をして───。
「─────っ!」
ガシリと、人目もはばからず抱き締められた、その数秒前、九条は確かに櫻内の何の迷いもない瞳を見た。
確かに自分を必要とする、愛しい者を待ちわびた瞳を。
だから九条は唇を噛んだ。
不用意に、要らぬ言葉が零れぬように。
こんな
たかが遊びごとで、
数時間離れていたにすぎなくて
とても大袈裟だとは思うけど──、
やっぱり自分も早く
【会いたかった】
四面楚歌に陥っているであろう、哀れな王の傍らに居てやるために──。
「一人で敵を蹴散らして来たのか。凄いな、さすが…俺の秀だ」
「────!」
櫻内の肩口に頬を押し当てたまま、九条は一度開いた目を、軽く頭を振って閉じた。
時に、櫻内の放つ真っ直ぐな矢は
何よりも俺の致命傷になることを
一度話して聞かそうか。
「櫻内、入るぞ!」
先ほど馬の確認へ行った者が帰ってきた。
「おう、どうだ」
櫻内と九条は身体を離して振り返った。
「ああ、残った馬は十騎もなかったぞ!」と、そいつが豪快に笑うので二人もつられて笑った。
「そうか。充分だ。よし、では俺は十騎を連れて攻撃に打って出る。
そして桐生大将との一騎打ちにかけよう」
「櫻、桐生さんは西の二陣だ」
「そうか。では正門を突破して西に向かおう。残りの参謀達は一人でも多く籠城戦で生き延びてくれ」
虞や、虞よ──
四面楚歌の中、項羽は虞美人を傍らから遠ざけた。
虞はその場で自ら命を絶った。
そして
櫻内項羽は傍らの九条を見た。
「秀、お前は俺に付いて来るだろう?」
そう、
俺は女じゃない。虞美人でもない。
九条もスラリとした視線を櫻内に返した。
「当然だ。俺はお前を助けに来たんだから」
「よし、行こう」
日暮れまでと定められた、小さな秋山での楚漢戦争。
最後の斜陽の光を集めた眩い天幕の白を引き裂いて、
二騎の騎馬が躍り出る。
美しい揃いの衣装とその背中に
≪項 と 虞≫ の、
金糸銀糸の文字が並んで煌めく様は
遠くから望遠鏡で観戦していた教員達にすら、永らく語り継がれる瞬きとなった。
『楚歌』-了-
どうか 僕を連れて行って
あなたのもとへ
その高みへ
どうぞ 僕に教えて
どうすればこの腕は羽根になるのか
昭和旧制高校青春群像
WHITE FEATHERS
この小説は一部歴史的事実を使用しておりますが、展開する物語はフィクションであり、
人物名・団体名は実在のものではありません。
尚、当掲載物の著作権は作者に帰属し無断転載・無断引用を固くおことわりいたします。
作者 : 秋月 雅

