愛だぜ!愛

今日の結論

一番目を背け、一番求めている。
恥ずかしさがある。
だから愛。

劣等感や寂しさの塊。
取り残されたくない不安。
刺激されないように心の引きこもり。
出来る出来ないにこだわって、
人からどうみられるか、
人に迷惑をかけないか、
人から置いていかれないか、
必死にしっかりをやって来たもんだから、
なかなか安心感が生まれない。
だから努力イコール忍耐で、
そりゃ嫌になるわな。
仕事も恋愛も忍耐しかないのは辛かろう。

忍耐は否定しない。
でも自分で自分を削り、
弱め、蔑み、傷つけ。
もうやめてくれってもう一人の自分が言う。
今そんな感じ。
瞑想とプラユキ師の本のお陰で、
ただ見つめた結果そうだと分かったような。
何故そうなったかはあんまり関係ない。

じゃあこれからどう生きようか。
先ずは今までの鬱的な人生に目を背けず、
大いに学ぼう。
物には囲まれて、出来ることも増えた。
お金も稼げるし、責任も果たしている。
その代わり心は疲弊し続けた。
だから心から安心感で満たされたい。
瞑想的に生きよう。
仕事をしよう。
体を大切にしよう。特に歯。
タバコをやめて、運動しよう。
部屋もなるべくきれいに保とう。
心も体も地球というフィールドも、
全て波動関数で習ったみたいに、
不確実な確率の上でなりたっていて、
有るようで無いし、無いようで有る、
つかみどころの無い存在。
意思も記憶も細胞でさえも、
生成と消滅を繰り返し、
ずっと固定されるものなんて無い。
自分の価値なんか自分で決めてもいい。
というか無くてもいい。

当たり前。
だからこそ大切。
空気がある。当たり前。
親がいる。当たり前。
からだが動く。当たり前。
当たり前は有難い。

人は宇宙の物質群から切り離された存在。
だから寂しい。
論理的に説明出来ることは、
別に大したことじゃない。
人間には余白部分が必要だ。
それを神とか仏とか言う、概念的なもので
説明して埋めてきた。
だから宗教を否定しない。
人には必要だから。
そういう形の無いものが。

まだまだ真実を探求中。
これからも少しずつ深めたい。

これからの社会も、
どんどん効率的を求めるだろう。
なんかそこに引っ掛かりを感じる。
もっと、もっと。で、どこまでいくのか?
ネットも普及して、
車も早くなって、
新幹線より速いリニアも出来る。
インフラも整って、蛇口捻ればお湯が出る。
人は獣臭くなくなって。
食べ物も困らない。
手に入れるにはお金が必要だから、
また必死に働く。
ただ、何故か疲れる。
心が薄くなっているし、
人間関係も希薄だ。
本来は人々は助け合い、
社会が熟しきたのだけど、
それを維持するのに必死で、
身近にいる大切な人との繋がりを
切り離された存在との繋がりを忘れてる。
どう身を立てるか。必死にしっかりする。
全てを捨て去る極端なことは不要だけど、
必要最小限でそれ以上は分ける。
当たり前の存在に感謝しよう。
愛してるとは恥ずかしくて言えないし、
愛がなにかよく分からない。
でもそれを忘れたら、
人生の余白部を埋めるものが無くなって、
鬱々とした気持ちがそこに広がるだけ。

出張先の広島で、
暖かい日差しを浴びながら、
仕事の成功を祝ったとき、
少しその余韻に浸りながら、
そんなことを考えてみた。

自分より人、それも忍耐不要で。
それって愛だよな。