イザヤ43:4

 

私の目に

あなたは価高く、貴く

わたしはあなたを愛し

あなたの身代わりとして人を与え

国々をあなたの魂の代わりとする。

恐れるな、

わたしはあなたと共にいる。

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自分を愛することが出来ぬから

他人を愛することも出来ない。

 

同じようなことを

渡辺和子シスターも言っていたんだな。

イザヤのこの個所を引いていた。

 

自信をもつとか

強くなるとか、

そういうことじゃなくて

神様に愛されているという

漠然とした感覚が有れば

何ごとにもビビることはないし

ともかく人生が楽しく明るくなるのだろう。

 

明日も

微笑みをもって

元気に前向きに過ごせるよう、

今日も寝る。

 

主の平和。

 

 

マルコ4:30

 

神の国を何にたとえようか。

どのようなたとえで示そうか。

それは、

からし種のようなものである。

土に蒔くときには、

地上のどんな種よりも小さいが、

蒔くと、

成長してどんな野菜よりも大きくなり、

葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど

大きな枝を張る。

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仕事について考える。

 

何もできない自分が、

この病院で何を出来るのか

悩ましく感じる場面も多い。

不安だ。

 

でも

もう出来ることしか出来ないし

これ以上の能力向上は無理なので、

精一杯心を込めて

与えられたことをやるしかないと思っている。

 

祈りを込めて仕事をする。

愛情をもって患者や

周りの人たちに接する。

それしか出来ないと開き直る。

 

たしかに

仕事には結果が求められるが

それだけが全てでは無い筈。

 

ロボットがやる仕事ではなく

人間がやる仕事であるなら

その過程が大事なのだろう。

 

結果は同じだろうし、

外から見たら分からないだろうが、

少なくとも私の生き方は

ちょっとだけは豊かになりそうだ。

 

今日も教会に行ける。

感謝して。

 

主の平和。

 

 

 

 

 

 

マタイ22:37

 

心を尽くし、

精神を尽くし、

思いを尽くして、

あなたの神である主を愛しなさい。

これが最も重要な第一の掟である。

第二も、これと同じように重要である。

隣人を自分のように愛しなさい。

律法全体と予言者は、

この二つの掟に基づいている。

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今日のミサの朗読部分。

「隣人を自分のように愛しなさい」

 

神父様から

隣人を自分のように愛するためには

まず自分を愛することが必要だとのお言葉だった。

 

そうだよね。

私なんかは自責の念が湧いて来て、

自分があまり好きじゃない。

 

いつも

どこか劣等感をもって

遠慮気味に暮らしているような気がする。

 

それを振り切りたい心から

無闇に強がったり

偉ぶったりしているのかも知れないな。

 

自分は自分らしく

普通に振舞うことが出来たら

これまでの人生は

もっと楽だったしミスも少なかったかも知れぬ。

 

まあ

悔やんでも仕方ない。

ミサに与かって、一度死んで生まれ変わる。

 

今日のミサも涙が出てきた。

感謝して。

 

これから長男と食事に行く。

 

主の平和