誰か・・・誰か・・・誰か・・・

存在・・・存在・・・存在・・・

私には、悪いのかどうかは分からないけれども、ある傾向がある、と思う。

自分の目に映っていないと、自分の手で触れていないと、

どんなに自分が関係を持ったり結んだりした相手でも、

その存在を忘れてしまう。その存在を認知しにくくなってしまう。

なぜ、なぜ、なぜ人はそうでないのだろう。

「私にはあのひとがいるから」

「はなれていても」

「アイシテルから」

ほんとにそんなことあるのだろうか

信じているのだろうか、なにかを

信じタイと思っているのだろうか

はたまた

信じられたいと思っているのだろうか

そんなことないのに。

信じてないよ、だから信じないで。

信じたくないよ、だから信じたいと思わないで。

そう伝えられたらどんなに楽だろう。

どんなにすっきりとした気分になることだろう。

一方でサミシサは残るのかもしれないが

それも一時だろう

人は、もしかしたらそういうこと考えてるのかもしれない。言わないだけかもしれない。

私も外面的にはそういう風に映るのかもしれない。

でも、この信じるというのもなんとなく適切でない気がする。

存在を意識できなくなる。感覚として。

いつでもつながってる?

いつもいっしょ?

そばにいるよ?

居ないじゃん。居ないよね?知ってるよ、あなたは居ない。

どこにいるのか知らないけれど、少なくとも、ここには居ないよ。

最近の夜の過ごしかた。

バイト。

飲む。

ウソつく。

電話する。

ウソつく。

タバコ。

飲む。

虚無。虚無。虚無。

自分にとって何もない。自分が演出するモノが虚像であることは過去においてもそうだったが、ここ最近の演出の仕方、それは他に対しても、そして自分自身に対する説得のようなものだったり、も、ひどい。

ひどいの内容がなんとなく「ひどい」以外の言葉で表すことができない。

何と比較して「ひどい」なのか、そもそもこういう場合、比較の対象なんて確固としてあってもなくても良いのかもしれないが、ひどい。

人との会話も、何を話していたのか、最近思い出せないことが多い。けれども、話している時はそれなりに量としては話していると思う。けれども、思い出せないことが多い。

哀しい。

ひどく発狂したくなる

一人で居ても、誰かと居ても

何が自分の内に宿っていたり、溜まっていたり

はたまた不足していたり、欠けてしまっていたりするのか

分からない

分からない分からない・・・
判らない判らない

ワカリタクナイ

自分が自分として生き延びるために
someone
との関係において

自分に形式を与えたい