容姿もよくなく良いとこなし
家族の中で銭取虫の私にも
1つだけ得意な事ができた。
勉強。

努力すれば必ず戻ってきてくれる。
勉強は裏切らない。
勉強していれば
母も父も喜んでくれる。

進学校へ入学した。
1度成績が落ちたこともあったが
とにかく勉強した。
学校自体も厳しかったこともあり
摂食障害になった。
その頃には母もすこし余裕があり
心配してくれた。
一緒に出かけたりも増えた。

志望校を選ぶときは
弟がいるから県外に出るなら
国立にしてときつく言われていたので
国立大学を志望した。
もしかして実家から
逃げたかったのかもしれない。

他はどこも受けなかった。
地元の短大、大学には行きたくなかった。
九州が故郷の私は
関東の国立大学と
随分離れた所を選んだ。
無事に合格し、18で両親の元から離れた。
大学時代、摂食障害はでなかった。

大学卒業後はそのまま戻らず
就職して結婚した。

母は子どものいない人は
半人前くらいの事を言う人で
結婚してからは子どもを
産まないと。とそればかりだった。
筋腫もあり妊娠しにくく
不妊治療もした。

結果
息子を1人授かる事ができた。  
息子が産まれて
眠っている息子が可愛くて
ずーっと寝顔を見ていた事があった。
その時 ふと
母は私に こんな感情を
もったことあったのだろうか。
と頭をよぎった。
考えたが、すぐ答えはでた。
ない。絶対にないな。

2人目は不妊治療しなかった。
積極的になれなかったのは
自分の体験があったから。
下の子ばかり
可愛がってしまうのではないかとか
私が2人育てられるだろうかと。
不安だった。

大人になっても
弟と比べられて私の方が
できてないと言われる事が
辛かった。
父が病気になって亡くなって
支えになろうと頑張ったが
認められる事はなかった。
いつもの
責められたり
当たられたりばかりで
落ち込んだ。

それが自分が癌になって爆発した。
母はそんな時でもこんな事を言った。

お父さんが死んで私ね、
何にもなくなって、1人で暮らしていて
いつ死んでもいいと思ってたけど
あんたが癌になって
こうして手伝いができることになって
あー神様が私に役割をくれたんだなって
思った。

と。私は泣いた。

この人は自己中心で
娘の癌のお陰で私の役割ができたと
言える神経の人なんだと。
この人から産まれてきたけど
私はこの人の娘ではないんだと思った。