愛着障害と診断されて1週間
心当たりはたくさんある。

私の実家は側から見れば
幸せな普通の4人家族だった。
普通のサラリーマンの家で育った。

実際は
父は酒乱で
毎日のように呑んでは
人を連れてきて
人が帰れば暴れる。
母への暴力。

小児喘息だった私は
何度も目の当たりにして
発作も毎日のように起こしていた。
夜中まで人がいて
ようやく父が眠りにつき
自分が寝る頃に
私の喘息の発作。
母は私に何度もあたって叱った。
気持ちは今はわかるが
子どもの時は喘息がでたら
また叱られる…出ないように 
出ないようにと願っていた。
そんな状態だったので
もちろん眠れないし、発作は起きる。
母の怒り。悪循環の中に母も私もいた。

私には弟がいる。
父は長男なので弟は
跡取り息子とどこに行っても
可愛がられた。
実際、
父似であまり容姿の良くない私と
母似で可愛らしい容姿だった弟
みんなが弟を呼んで可愛がった。
私は弟のオマケみたいなもんだと
小学生の頃に思うようになった。
それからは私も!と 
同じを求めることは辞めた。

私は容姿も良くない上に
歯並びも悪く反対咬合だったので
両親は歯の矯正をしてくれた。
ありがたいが
母は私のことを銭取虫と呼び、
からかったつもりらしいが
幼心に喘息で歯もお金がかかって
かわいらしくもない。
自分に凄く劣等感を持っていた。

小さい頃は病院にはかかるが
比較的手のかからない子だったそうで
母は父が暴れたり、
呑んでる出先に呼びつけたりする際に
弟の世話をよく私に任せた。
買い物の時もそう。
今になればよく分かる。
子どもが2人いれば 
時間もかかるし大変だ。
私にお金を持たせて
デパートの屋上に置いて
弟をよろしくという。

弟の観たい映画があれば
映画館まで連れて行ったら
お姉ちゃんよろしくね。と
自分は買い物に行く。
何度ゴジラや少年映画を見たか
わからない。
私の観たいのなんか聞いてさえもくれない。
弟が観れないからだ。

私は母にとっては
都合のいい時は家来であり、
腹がたてば当たる相手だった。
娘ではなかった。