去年の4月、私は転職した。

それまでは子どものスイミングの
イントラをしていたが
よその御宅の子にスイミングを
教えてる場合ではないくらい
息子が荒れ始めていたからだ。

イントラの仕事は大好きだが
1日に4本のレッスンに
事務仕事をして、学童へお迎え
お稽古ごとへの送迎と
家に帰るとグッタリ。

宿題もしっかり見てあげられて
いなかった。

これじゃいけない。

と思い。
イントラに
心の引かれながらも
退職。

保育士の免許をイントラを始めた時に
取った事もあり
子育て支援センターのパートに応募した。

すると担当の方から
保育園入所希望の方の相談役みたいな
保育コンシェルジェいかがですか?と
言われ事務職だし。
残業はないし。で承諾してすることにした。

仕事はハードでは無かったが
息子は幼稚園出身。私自身も幼稚園卒。
保育園の事は無知で。
入所の事から保育園の事
毎日が勉強だった。

時間には余裕ができたので
息子との時間にも余裕がもてた。
最初のうちは。。。

3年生になった息子は
壁にぶつかっていた。
みんなと団体行動をしたいのに
できなかった自分。
それをわかってるのに
正当化するために先生を欺く。

GW明けからは毎日のように
学校から電話がかかってきた。
呼び出される事も多々。
学童でも口が悪い、態度が悪いで
謝る事が多かった。
その頃からスクールカウンセラーさんとの
話し合いが始まった。

仕事の方は大分慣れてきはじめ
相談の仕事を受けできている時だった。

夫が末期癌です
と1歳のお子さんを抱いて
診断書を持ったお母さんが相談に来られた。
夫を看病したいけれど
夫をさすってあげたいけど
この子をおぶっては難しくて。

がんセンターにはお子さんを
連れて行っては行けないところを
預けるところがないために
無理を言って行っている。

夫は夏を越せません。
それまででいいんです。
夫を看病したいんです。

相談を受けた後、
父の姿が脳裏をよぎり
その方が帰った後
トイレで泣いた。心が苦しかった。
何とかしてあげたかった。

最優先してほしいと
書類にも書き、入所を決める人達にも
話をした。

私はあくまでも相談役で
権限はない。

この方こそ入れてあげるべき人なのでは
と思ったが…
保育所の入所の条件の中では
看病は優先度が低い。

案の定、その方は次の入所検討で落ちた。

その後もお電話を頂いて
何とか…と言われ
また入所検討の人にお願いに行った。

初めに相談に来られて2ヶ月目に
入所が決まった。

良かった。

と思い、
そのお子さんが決まった保育園へ
行ってみるとキャンセルしたとのことだった。

もうご主人が危篤状態で
一時も離れる事ができなくなり
お子さんを預けに来る時間すらが
ご主人と過ごす大切な時間
になったとのことだった。

遅かった…

ショックで息がとまりそうだった。
また父の姿が浮かぶ。
それから息切れが少しずつでるようになった。
私に少しでも権限があれば。
本当にショックだった。

そんな中も学校からの電話は続いた。
息子の担任は50代の新人の先生だった。
それは…学校で対処してもらえば…
というような事も電話がくる。

ダンナはというと
出張がピークで週の半分は家におらず
単身赴任状態だった。
それでも国内にいて、3日間は
夜中に目をさますと横に寝ているので
それだけでも安心だった。

何とか息切れだけですんでいたのが
ダンナの海外出張が症状を
加速させた。

仕事は上記の件以来
入所要件の診断書、特に癌ばかりが
目に入るようになり
自分も変わらない年齢の人に
こんなにも多いなんて…
どんどん胸は苦しくなる。

仕事が終われば
息子の学校からの電話。
帰っても帰ってこないダンナ。
荒れている息子。

そんな時に酷い動機が起こった。
死ぬかも…と思った。

その直後にダンナが1週間の海外出張へ
出発した。

いない間に動機が起こったら…
と思うと眠れなくなり
不眠にもなった。

去年の夏。
全てが重なり
動機、息切れ、不眠の3つの
症状で心療内科のお世話になることになった。

先生の診察で
相談の仕事をやめた。
事情を話して、イントラの仕事へ戻った。
問題の1つ1つを見直して
少しずつ改善し始めた。

乳がんが発覚するまでは。