前にもチラリと書いたが
4年前の夏に父を亡くした。

膵臓癌だった。

半年間の闘病生活で
家にいたのは2週間ほどで
ほとんどを病院で過ごした。

見つかった時は
肝転移を起こした末期癌だった。

まだ幼稚園の年中だった息子と
毎月連れて帰省し
半月ほど実家で過ごした。

幼稚園には理由を話して
月半分休むことを了承してもらった。
幸いにも行事がなかったので
練習で周りのお子さんに迷惑を
かけずにすんだ。

日に日に悪くなっていく父を
毎日みている母は母の許容範囲を超え
とにかく機嫌が悪く
父ともケンカしたり、
もちろん私は1番言い易い相手なので
アタリが強かった。

私に対してはそれでもと思っていたが
父に対してのその態度は
いかがなものか…と思っていた。
最期までケンカする気なのか…?
多少は譲歩したらどうだろうかと
何度も思った。
口に出した事もあったが

あんたにはわからん!

と泣きわめいたりするので
確かに夫婦の事は夫婦にしか
わからないのだろうと
そのまま見てて心苦しかったが
そのままにした。

告知からちょうど半年後
父は息をひきとった。

明け方、病院からの電話で
たまたま帰省中だった私と息子と母は
病院へ行った。
父の姉夫婦も来ていた。

段々と呼吸が浅くなり
そのまま眠るように逝ってしまった。

お父さん…

涙がポロポロこぼれた。

が後にも先にも涙がこぼれた
いや、こぼす事ができたのは
この時だけだった。

直後に弟やダンナに電話をし
棺に入れる時に
着る洋服を取りに行ったり
葬儀場の手配や何やら
母は全く動けなくなってしまったので
全てを私がやることになった。
母も泣き、弟も泣き
私は泣きそびれて
しまっていたのかもしれない。

息子はダンナが来るまで
親戚や従姉妹に預けて
書類を書いたり、いろいろ決めたり
バタバタとしていた。
次々に来る親戚に挨拶をして
場所がわからない人の誘導をしたり
そうやって葬儀まで過ごした。

初七日までも今度は役所がらみの
手続きやお墓の名義変更やら
ぼんやりとする時間はなかった。

そうこうしているうちに
2週間が過ぎ
1度、家に帰ることになり
実家を離れた。
家に戻れば日常が戻り
毎日、母に電話をしていたが
父はもういないと思って
ホロリとする事はあっても
号泣する事はなかった。

私は父が亡くなって
ワーンとないていないのだ。
心の底から。
そんなつもりは無くとも
ずーっと引きづっていたのだ。

それに気づいたのが
去年の夏で
心療内科へ通う大きな原因となった。

悲しい時、泣ける時、泣きたい時は
心の底から思いっきり
泣かなければならないのだと思った。