さて兄弟たちよ。わたしたちの主イエス・キリストの来臨と、わたしたちがみもとに集められることとについて、あなたがたにお願いすることがある。 霊により、あるいは言葉により、あるいはわたしたちから出たという手紙によって、主の日はすでにきたとふれまわる者があっても、すぐさま心を動かされたり、あわてたりしてはいけない。
だれがどんな事をしても、それにだまされてはならない。まず背教のことが起り、不法の者、すなわち、滅びの子が現れるにちがいない。 彼は、すべて神と呼ばれたり拝まれたりするものに反抗して立ち上がり、自ら神の宮に座して、自分は神だと宣言する。
わたしがまだあなたがたの所にいた時、これらの事をくり返して言ったのを思い出さないのか。 そして、あなたがたが知っているとおり、彼が自分に定められた時になってから現れるように、いま彼を阻止しているものがある。 不法の秘密の力が、すでに働いているのである。ただそれは、いま阻止している者が取り除かれる時までのことである。 その時になると、不法の者が現れる。この者を、主イエスは口の息をもって殺し、来臨の輝きによって滅ぼすであろう。
不法の者が来るのは、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力と、しるしと、不思議と、 また、あらゆる不義の惑わしとを、滅ぶべき者どもに対して行うためである。彼らが滅びるのは、自分らの救となるべき真理に対する愛を受けいれなかった報いである。(Ⅱテサロニケ2:2-12)
上記のパウロの説明に関して、一般に二つの勘違いが多く見られます。一つは既に述べた通り、「不法の者」と「反キリスト」とを同一視していることです。この二者を結び付ける聖書的な根拠はありません。もう一つは、「不法の者」がキリストの来臨やクリスチャンの携挙の直前に登場するという思い込みです。パウロは、主の日が来る前に不法の人が現れると、はっきり述べてはいますが、それがどれぐらい「前」なのかは、何も述べてはいません。
まず注目すべきなのは、「背教のことが起こり、不法の者が現れる」という点です。「背教」については、使徒ヨハネが「多くのにせ預言書(反キリスト)が世に出てきている」と述べており、聖書時代にすでに生じていました。そしてパウロは、「背教」に続いて「不法の者」が「現れる」と述べているのです。ここで三度用いられている「現れる」という言葉は、英語ではrevealedであり、「覆いが取り除かれる」の意味です。つまり不法の者は既に存在しているが、見えないように、或いは解らないように、覆い隠されているのです。
「不法の者」の出現を阻止している「不法の秘密の力」が取り除かれる時は、パウロが生きている時には来ませんでしたが、それがイエスの来臨の直前であるとする理由は存在しません。
4世紀には「完全な人である」と同時に「完全な神である」と主張する「人神キリスト」が登場し、神の宮であるクリスチャン会衆の中に座すようになりました。ですから「不法の秘密の力」は既に取り除かれ、「不法の者」は既に現れているのです。それがキリスト教世界の信奉する「人神キリスト」なのです。
これは「真理に対する愛を受け入れない」人達には認められないことですが、イエスは彼らに対して次のように宣言されます。
そのとき、わたしは彼らにはっきり、こう言おう、『あなたがたを全く知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ』。(マタイ7:23)