「聞く耳のある者は聞くがよい」

 

イエスが繰り返し語られた言葉です。神は、すべての人が悔い改めることを望んでおられますが、救われる人が少ないこともご存知です。神が提供される救いは、強制ではなく、受ける人の心の姿勢次第だからです。命を与える神の言葉を聞いても、その意味を悟ろうとせず、したがって救われることのない人たちが多いという事実を、イエスも聖書も認めているのです。

 

それは『彼らは見るには見るが、認めず、聞くには聞くが、悟らず、悔い改めてゆるされることがない』ためである」。(マルコ412

 

招かれる者は多いが、選ばれる者は少ない。(マタイ2214

 

もちろん音声で語られるのではないので、「聞く耳」とは御言葉を理解する力のことであり、意味を悟ろうとする意欲や、真理を見極めようと願うことが求められているのです。したがって、求めなければ与えられず、探さなければ見出すことができず、叩かなければ開かれないのです。

「聞く耳」がなければ、福音を聞いても無駄であり、まして「約束の聖霊」を受けることもできません。

 

それは真理の御霊である。この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、それを受けることができない。(ヨハネ1417

 

人々が「知ろうとしない」のはどうしてですか。それは価値を認めないからです。それらの人にとって福音は、注意を払うに値しない、ただのたわごと、愚かな人々の迷言にしか思えないのです。今の時代が永遠と続くのであれば、確かに福音には価値がありません。しかし聖書は次のように警告しています。

 

主の来臨の約束はどうなったのか。先祖たちが眠りについてから、すべてのものは天地創造の初めからそのままであって、変ってはいない」と言うであろう。すなわち、彼らはこのことを認めようとはしない。古い昔に天が存在し、地は神の言によって、水がもとになり、また、水によって成ったのであるが、その時の世界は、御言により水でおおわれて滅んでしまった。 しかし、今の天と地とは、同じ御言によって保存され、不信仰な人々がさばかれ、滅ぼさるべき日に火で焼かれる時まで、そのまま保たれているのである。(ペテロ第二34-7

 

ノアの時代の人々は、洪水が襲ってくるまで注意しませんでしたが、洪水が一切のものをさらっていくとき、彼らが嘲笑していた箱舟の、真の価値を知ることになりました。しかし時すでに遅しです。

この時代が、まもなく火によって滅ぼされるときも同様です。世の人々が嘲笑する福音の真の価値は、そのとき現実となります。しかし、聞く耳を持っている者、すなわち救われる人は少ないのです。


あなたは「聞く耳」がありますか?