嘘が全てをややこしくしている。

これは世界や社会に対しても言える。あたかも良さそうに見える仕様にパッケージされていたり、謳われていたり、そんなものが世の中に溢れている。
そんなことは気にしないで手に入れる人もいるだろうが、その巧みな嘘を見破って手に入れようと思ったら、かなりの知識を得なければならないほどに複雑だ。
嘘の中からわずかにある本物を探す。なんだ、これ。本物だけを提供してくれよ、と内心思う。

これは自分自身にもいえる。
こうであるはずの自分。
こう見えている自分。
こうだと思っている自分。
本当の自分を隠して自分だと思っている幻想の自分。
とりわけ、嫌な、最悪と思える自分を出来るだけ見ないように、上手いこと隠してきたもんだなと思う。
要するに自分に嘘をついているということだ。
私は優しい。
私は親切。
私は平和的。
私は、、、

この世界ではテレパシーなるものは基準装備ではないので、相手の本心は見えないし聞こえない。
それが幸いか災いかはわからないが、心とは裏腹なことも聞こえる言葉として発することができる。
もちろん、故意に傷つけるような発言も本心ならしていいというわけではないが、嘘が通用する世界であることが要らぬ副産物を生んでいるのではないか。

嘘がつけなければ、何も隠せない。
この人が好きだけど、あの人も好き。別に良い。それを許してくれる相手と付き合えばいいだけ。
さも、一途です。みたいな態度で複数人と付き合ったり、それを隠しているからつまらぬ嘘を言わなくてはならない。
あくまで一例だが、こういう小さな嘘って沢山ある。

我々の霊性がもっと進化した時、嘘はなくなるだろうし、そもそもつきたくてもつけない、ツーカーになるだろう。

嘘なくどんな自分も認めよう。これって案外難しいです。
自分で自分の嘘を見抜くのなかなか気づかない。巧妙だから。結構騙されてる。
揺れる感情にモヤモヤして、自問自答の結果、逃げ出しくなる自分を見つけ罵倒しながらも認めていく。嘘を見破るって辛い。

その時までは嘘は嘘として認識しつつ、本当の自分がどれだけヤバくて最悪であろうとも、それも受け入れていこうとスーパーからの帰り道、顔面に西日を受けながら思った次第です。



愛を込めて。