おかげさまで後遺症もなく、ほぼ元通りまで回復。

 

けどこれまで私の中で色んな格闘があった。

今まで私は夫や家族を心配するタイプではなかった。

母は心配性だし、友達にも心配性はいるが、私はそこまで心配することはなかった。

しかし、今回のことがあり、突然、心配性になってしまった。

 

夫がICUから一般病棟へ移ると、会社のパソコンを持って来いと言い始めた。

仕事がどんどん溜まっていくからメールを見るだけだそう。

そもそも、今回の病気は仕事のストレスや疲れが大きな原因だったと思っていた。

そして、まだまだ合併症のリスクがある夫に入院中に仕事をして欲しくなかった。

なんども要求を突き返したが、

「自分の事は自分で判断する。余計なストレス作らないでくれ。外野は黙ってろ。」

とまで言われ、しょうがなくパソコンを届けた。

 

そのとき私は少し覚悟をした。

夫がまた脳卒中なり、何かしら大きな病気・事故にあう覚悟。

いや、また同じ経験は私は耐えられないかもしれない、今度やったら離婚かもしれない。そうも思った。

これは夫の人生で、私はコントロールすることはできない。やはり私にできることをするしかない。

 

そして退院後、また心配が爆発しそうになった。

退院時に先生は2週間後に状態を診て、社会復帰はその時に相談。それまでは家での生活に慣れること。買い物行ったり、散歩したり、自宅療養と言われていた。

なのに、金曜日に退院したと思ったら月曜日から会社の会議に参加し始めた。

仕事は与えられていないようだったが、会議に参加したり、メールのやりとりを始めてた。

せっかく会社を休んでいるんだから、ちゃんと休んで、体力回復したり、ゆっくり過ごせばよいのに!!

全く理解できなく、やはり夫の行動をコントロールしたい衝動にかられていた。

あまりに言うことを聞いてほしくて、泣いた。

 

夫の話を聞くと、どうも仕事ができなくなり住宅ローンが返せなくなることを恐れているようだった。

早く仕事に復帰し、仕事ができることを確認する。もし仕事ができなくなっていたら他の仕事が探したり、次のステップを考えなくてはいけないと思っていた。

焦っているように見えたし、そう夫にも伝えた。

私の言葉はちゃんと聞いて、考えてくれているようではあったが、行動は変わらなかった。

やはり、これは夫の人生で、私はコントロールすることはできない。やはり私にできることをするしかない。

 

けど、心配で、夫が仕事していることが嫌で嫌で、

この「心配」という感情が行き場がなくて、どうしようもできなくて、「もうこんな感情は感じなければ良い!」と思った。

その時ふっと気づいた。

私は今までもこのような都合悪い感情に「感じなければ良い」と何度も蓋をしていた。

場面までは思い出せなかったが、デジャブだった。

そしてその嫌な感情を感じないように、見て見ぬふりのようなことをしていた。

そうして今までどんどん心を閉ざしていた。

「だめ!感じる!感じなければいけないんだ!」と封じることをやめることにしたとたん、心配という感情を手放せた。消えてしまった。

 

ネガティブな感情は基本的に感じたくない。

私だけでなく、多くの人はそう思っているだろう。

けど、ネガティブな感情もしっかり感じてあげれば手放すことができる。

感じないでそれを嫌がると、その感情に浸ることになる。

感じないで蓋をしてしまうと、心が閉ざされていき、その感情は心のどこか、体のどこかにしまわれ、いずれ身体の不調として表われてくる。

だから、心地悪いかもしれないが、嫌がらずに感じてあげよう。ただそう思うだけですーっとその感情は心から抜けていく。

(心にしまってしまった過去のネガティブ感情も開放する方法もある。これはまた次の記事にでも書こうと思う。)

 

夫の手助けのため、バッチフラワーエッセンスも積極的に取らせた。

病気のトラウマにスターオブベスレヘム、恐れにミムラス、焦りにインパチェンス、頑固さにロックウォーター、頑張りすぎにオーク、センタリングのためにセラトー。

 

もう一つ。

以前に、同じ整骨院に通う知り合いが、そこの先生に「お嬢さんのことを心配し過ぎているから、心配ではなく信頼してあげましょう」というアドバイスをしていた。

その言葉を思い出し、夫を信頼することにした。

夫を信頼し、私にできることをする。ただそれだけ。

こうなったら、ああなったら、と起きてもいないネガティブな未来を恐れず、考えず。

今できることを今する。今をポジティブにする。

そうすると、未来もポジティブなものになっていく。


そして、ここまでも後遺症なく回復していること、良い医師に出会えたこと、仕事に復帰できたこと、色んなことに感謝する。

毎日、感謝を忘れず、感謝しながら今日を生きる。

そして明日はより感謝できることが起きるだろう。