このブログは自分の気持ちの整理のために書いている。人に読まれることは考えてないので好き放題書く。書き殴る。
偶然かもしれないが、
あれから既に15年経ったらしい。
卒業式終わり、受験が終わって開封してなかったDISSIDIAをやっていたら地震が来た。
最初は小さめで、徐々に次第に大きくなって勉強机の下に隠れた。
棚やタンスは倒れて部屋の中はもうめちゃくちゃで。
人間は生命の危機に瀕すると目の前の散状より、なんとかしないとって使命感・義務感に無意識に駆られるらしい。
それからあっという間に過ぎたけど、寒かったのは覚えている。
高校入学もマスク着けて不安を抱えて。
本来やりたかったことは、大したことではなかったかもしれないけれど、起こらなければまた別の人生を送っていたかも。
また、今こうして記事を書くことも無かったのかもしれない。
ただ間違いなく言えるのは、抱えなくて良い不安・罪悪感・無力さを思い知って、取り返しのつかない選択をして迷惑や悲しませることをしたことが未だに残っていたりする。
15の子供なんてまともな判断ができるわけないし、30になった今ですら何も本質は変われてないんだ。
大人になったつもりでもガワがそうなだけで中身なんて何も変わってない。
だからまたこうしてタヒについて考えることになってる。
毎日小さな嫌なことの積み重ね。
完璧で完全なんてないけれど、
自分の生活を守るために精一杯。
それでも嫌なことは雨のように降り注いできて逃げ出したり投げ出したりしたくなる。
誰かに逃げてもいい、投げ出してもいいと赦して貰いたくもなる。
でもそれをすると15年前の選択と同じで重荷に押し潰されそうになる。
本来持っている覚悟を、その枷によって閉ざされるみたいに。
自分のやりたい・なりたい漠然とした理想形を、今ここで諦め……というか逃げて投げ出してしまったとしても。
別に何にもならないだろうけれど、
タヒんだ後の自分自身がきっと赦せないだろうし、
それだとしても苦しみながら、苦しんだまま生きる今がとてもつらく感じる。
正直、早めにタヒるのは可哀想だったり残念とは思うけれど、ある一種の賢い選択なのかもしれないと思わずにはいられない。
自分の過ちを繰り返さない為に、
自分自身を縛り付けて、
なんとか今日まで生き続けて、
タヒんだ屍のような状態かもしれない。
なら、どうすればいい?
不満や不安を抱えて考えても解決しないことはわかってる。
答えなんて動かないとわからないのも。
それでも嫌なことや耐え難いことが雨のように降ってきて差す傘なんてない。
毎日を楽しく成長しながら新しく働ければどれほど幸せなことか。
砂浜に埋まった宝石を波に攫われる前に探し続け、諦めて、また探して、それを繰り返してるのが今なんだろう。
生き甲斐を見つけ、
やってるつもりでもただ誤魔化してるだけで、
ひたすら人間として生まれたことを考えないように必死に時間を過ごす。
わからないままだ。答えなんてないのはわかってる。でも考えることを辞めたらどうなるのか怖くてできない。
自分が自分ではなくなる気がして。
まだ理性を保てているから自分を保っていられる。
でもそれは良くも正しくもあり、つらいことでもある。
………わからないな。
頑張れとも、なんとかなるとも、何も言えないんだ。
恋をして、結婚して、子供を育てて。
そんな世間一般的な普通のことを自分はしたくない。面白くない。
半分流れている血筋を断つためにも、
その縛りを全うするためにも。
普段考えなくて済むように計画を立てるも、
またこんな風に不安・不満に煽られて考えるようになる。
なんてつらいんだろうか。
導きが、正してくれる、赦してくれる人を求める彼の思想がよくわかるよ。
俺もそうなりたいくらいだ。
いったいいつまで1人で闘えるのだろうか。
最期まで腑に落ちないだろうな、きっと。