どうも、古賀です

今回は日本でも売上トップをこゝろと争う名作
『人間失格』の高校生なりの感想を書きたいと思います(初めて読んだのは中学生ですが)

まず人間失格の主人公「大庭葉蔵」はなんというか、人間のことが分からないのです

子供の時なんて自分以外の人間はバケモノだと思っていたし、死はこの世からの救済とさえ考えていました。
そして断れないのです
意志薄弱という言葉がぴったりなくらい。

さてここで一つ疑問が浮かびます。
なんでそんな考えを子供の頃から持ったのだろう?と
私も初めて読んだ時は分かりませんでしたが2回3回と読んで大体分かりました。
大庭葉蔵は虐待を受けていたのです。
随所随所にそれが分かる文言があります。

『すでに自分は、女中や下男から、哀しい事を教えられ、犯されていました』

しかし私は初めてここを読んだ時
「哀しいこと...死後の世界か?犯されるというのは心が犯されたのだろう」
そう解釈したのです。

しかし時代背景などを調べてみますとどうやらそうではなさそうで
これは比喩などではなく言葉通り
「犯されて」いたのです。
当時は戦後の動乱期と言える時代
下男下女も執事やメイドのような高貴なものではありませんでした。
そんな中両親に訴えることも出来ない葉蔵を嬲り、慰みものにしていた。
これによって葉蔵は
「人間は醜く、醜い側面をひた隠しにしている」
そう考えるようになったのです。

なるほど、フロイトは性、倒錯的嗜好を抑制するために自我があり、性欲の増減とともに人間は成長していく
と考えました。

葉蔵の場合その成長過程や精神的成長に伴う人間の愚かさ、醜さをもう、幼少期から知ってしまっていたのです。
私自身も幼少期は一日中親が喧嘩しており人間は醜いのだと直感的に感じ取っていた気がします。
この葉蔵の立場に立つと同情を禁じ得ないのです。

そして精神分析学では4-8歳の期間で男女の関係に対するイメージが完成するそうです。
なので4-8歳の時身近な男女の関係、両親ですね
両親の仲がいいと男女の関係にもポジティブに
仲が悪いとその逆です。
少し話が逸れましたが、葉蔵はここでレイプによって暗く影の差したイメージを持つようになったのではと思うのです。

今回は葉蔵の性格が大きく歪み、お道化るに至った経緯を私なりに説明してみました
次は青年期に入っていきたいと思います

それではまた次回