俎板(まないた)に包丁が当たる音が好きだ。
一定の拍があるわけでもないけれど、
どこかリズムを感じる調理音に目を覚ます。
4時過ぎくらいに空が明るみ始めた頃、
ほんの少しだけ開いた、台所へ通じるドアの狭間から
薄暗い寝室の床を一筋の光が斜めに横切っている。
私は毛布の中から抜け出して光を辿るように
寝室から台所へ向かった。
…エプロン姿の小柄な女性が
くだものナイフで長ネギを切っていた。
横手には湯を沸かしている鍋がある。
味噌汁の具にするのだろうか。
私の方を振り向くと、彼女は眠たそうな顔で
「まだ寝てていいよ」と言った。
私は軽く頭(かぶり)を振り、台所の水洗い場に視線を落とす。
水が張られたボールの中に小さなキャベツが漬けられていた。
私はキャベツを手で掴み、
急に感じた手の痛みにキャベツを床へ落としてしまった。
手には無数の虫がついていた。
1匹だけ大きい。黒くて、3ミリ程度のハサミムシのような形をしている。
他の虫は1ミリ程度の小さな何かの幼虫だった。
感じた痛みはこの虫のせいだろうとは思えなかった。
痛みを感じた指先には傷も無ければ
張り付いてる虫を観察しても再び痛みを感じることも無い。
床に落ちたキャベツを見ると、
ボールに漬かっていたときは見えなかった
キャベツの芯の部分に夥(おびただ)しい数の虫が寄生していた。
拾い上げると、
葉の隙間から虫が止め処なく這い出てくる。
キャベツの中にどれほどの虫がいるというのか。
水の中に漬けるより、虫を駆除するほうが先なので、
私はキャベツの葉っぱを一枚一枚剥いでいった。
こびりついてる蟲達が次第に密になってゆく。
そして、おかしなことに葉を剥けば剥くほどキャベツは大きくなっていった。
それでも私は葉を剥いた。
蟲はもう私の肘の辺りまで攀じ登ってきている。
十数枚ほど向いたあたりで、ようやく芯の一部が見えた。
それは黒く細い何かが複雑に絡み合ってできていた。
束ねられた黒い繊維の狭間から蟲が沸いてくる。
私は束になってる黒いものを露(あらわ)にしようと
最後の葉を剥こうとして…止めた。
それが何だか気づいたからだ。
黒い繊維に見えたのは、髪だ。
「どうしたの?」
私の隣で可愛らしい彼女の声が聞こえる。
彼女の頭は、私が持っているのに。
…そこで、静かに目を覚ました。
目元が痒かったので触れてみると、
寝てる間に酷く泣いていたことに気づいた。
台所へ行くと、昨夜の会社帰りにスーパーで買ったキャベツが
ボールの上で水風呂に漬かっていた。
…千切りにするのは、午後にしよう。