「寂しさに負けない勇気が欲しい」
心から、寂しい。
誰かに抱きしめて欲しい。
「辛かったね、もう大丈夫だよ」と言ってほしい。
愛と依存は違う。
今度こそ、依存するだけのような関係を築きたくない。
私が人に想いをあまり話さないのは、
結局は「大丈夫だよ」と言ってほしいだけだと、
自分で分かっているから。
それだけを言って欲しいのだ、と分かっているからこそ、
それを期待して、
負の感情を発散させて、
相手まで巻き込んで…。
そんな自分の傲慢さが許せない。
結局は自分自身が「大丈夫」だと信じなければ、
意味のないこと。
迷惑をかけたくない。
重荷になりたくない。
弱い自分を見せられない。
大切な心を許せる仲間だからこそ、
躊躇をしてしまう。
本当は一人で抱え込むには限界があることを知っている。
そして、
殻に閉じこもることが最善ではないことも。
話してみようと思って、
試してみたこともあった。
だけれど、
いざその時になると、
何も言えなかった。
何を伝えればいいか分からなかった。
最近、一度だけ、
親友に「辛い」と言ってみたことがある。
その時、親友からは
「そんなの他の人に比べれば、大したことない」
と言われてしまった。
そして
「ちょっと聞いてよ。この前さ~」
と相手の話を聞くことになった。
いつもと同じように。
寂しかった。
分かってもらえなかったことが。
そして、結局は
「大丈夫だよ」の一言が欲しかっただけだったんだと、
改めて感じた。
なんだか恥ずかしかった。
以前、精神的に参って
部屋に篭っていたことがある。
後に友達から
「頼ってもらえなくて、寂しかったよ」
という言葉をもらった。
そして先の親友からは
「私でさえも壁を感じることがある」
とも言われたことがある。
私は壁を作っているつもりはないんだ。
ただ自分をさらけ出すのが、怖い。
そして、むやみやたらに弱い部分をさらけ出す、
その必要もないと、正直思っている。
私は聞き役になることが多い。
相手が「大丈夫」という言葉を望んでいると、
知っているからかもしれない。
私の考えや意見は最小限に留め、聞くことに徹する。
共感して、同調する。
安心させることを最優先にする。
それがひとつの優しさの形だと信じている。
私はそんな風に、素直になれる人がうらやましい。
だけれど、
「大丈夫」の一言だけを求める自分には…
なりたくない。
来年度になれば、
今、近くにいる、心許せる大切な仲間たちも
関東に行ってしまう。
その時、私は大丈夫だろうか。
普段何を相談出来ている訳でもないのに。
彼らの存在自体が安らぎなのだと、強く感じる。
私には言葉を書ける力があって、
本当に良かった。
前の記事で心配して下さった皆さん、
本当にありがとうございます。
録音者さん、
いつも優しい言葉をかけて頂き、本当に嬉しいです。
コメント等の返信が遅くて申し訳ありません。
もう少し落ち着いたら、
しっかり書かせて頂きますから。
心からの深い感謝を。