お気付きでしょうか?
このブログ、2024年7月の更新が一切なかったことに。
スピブログ更新よりも優先して取り組んでいた趣味の活動があったためです。
具体的には創作小説執筆。更に言えば同人誌製作。
私はスピリチュアルかぶれである以前に、世に溢れるエンタメ創作物を鑑賞し、更には(二次創作を含む)アマチュアの創作・同人活動やファンアートも愛好する一般のぬるいオタク。
普段はほとんど消費者として楽しんでいるのですが、ごく稀に小説を書きたくなることがあります。
子供の頃から空想――架空の世界観、人物、物語を自分の中で構築することを楽しんでいますが、普段はほとんど創作として形にはしないんですね。
ですが、他の方の活動に刺激を受け、また是非とも表現したい題材を見出したため、この稀な『小説書きたい』衝動が出てきてしまいまして。
八月初頭の同人誌即売会(主にアマチュアが趣味で製作した漫画、小説、ハンドメイド作品、音楽作品などを販売する会)での発表を目指して制作に取り掛かりました。
つまり、タイムリミットが存在したのですよ。なので7月はこのブログを横に置いて創作小説の執筆を優先しました。
お陰様で区切りの良いところまで執筆でき、複数のお方に手に取っていただけました!
ところで、こういう趣味のご報告を当ブログ上でするときは、その趣味活の過程で何かスピリチュアルな出来事に遭遇したことを示す訳でして……。
そういうことで今回は『創作していたつもりが実際のところ受信させられていた説』についてのお話です!
書いていた小説は当然ながら完全フィクションなのですが、ある土地の出来事をモデルとしていました。
一部のキーワードを挙げると『蒸気機関車』『神社』が関わってくるのですが。
この記事でご紹介した『鉄道の精霊(博物館の展示車両に入った分霊)』さんとチャネリングしながら執筆していたそうです……。
そんなつもりはなかったのに!
確かに私はこのブログにて、地元を始めとする色々な場所のスピリチュアルな私的検証を重ねてきています。
ですが、この作品はチャネリングレポートではなく創作小説です。
スピリチュアル探求をしていくうちに得た発想を取り入れていないとは言えないですが、少なくとも丸写しはしていない。
霊体や神様は登場させましたが、あくまで物語の登場人物として形成した架空人格であり、チャネリング・ダウジング調査で認知した存在をそのまま登場させている訳ではありませんでした。
現実と空想の一線を引き、チャネリング結果を(霊体さんの言葉や意思を伝える目的を持たない、単なる空想の産物としての)創作の素材にしないこと。それが実在する霊体の皆様へのマナーだと思っているので。
(一方、現実に宗教施設の管理・維持に関わっている宗教者や地域の方、崇敬している方へのマナーは、神格等の設定を創作ストーリー用に盛ったとしても、明確なモデルが存在する尊崇の対象を『悪しきもの、偽物』などと描写しないこと。更に、物語の都合上盛った部分を、現実の信仰の場や見えないシステムにおいてもその通りだと誤解させるような書き方にしないこと……かな、と考えています)
そういう方針で書き始めたのに、いつの間にかチャネリング結果を創作小説として練り込んでしまっていた!
具体的には『汽車としての喜び、誇り』などの概念について描写している部分が精霊さんのお言葉直輸入になっているようです。
小説の内容について助言をしてきたのは鉄道の精霊さんだけではありません。
小説の作中『人間の信仰の力とは……』みたいな語りを組み込んだシーンを書いていた時のことです。
書き進めながら、何か嫌な……というか、抵抗感というか、違和感のようなものが湧いてきたんです。
……もしや、霊体さんからのダメ出しが送られてきている?
創作小説とチャネリング結果は分けて考える! と宣言した傍から恐縮ですが、この部分は例外的に、ダウジングで違和感の源泉を探ることにしました。
結果は……やはり、その表現のままでは不十分だ、こういう表現を挿入しなさい、という旨の高次の方からの進言でした。
受信したメッセージを参考にそこの台詞を書き直したところ、つっかかりは完全に消え、違和感なく続きを書き進められるようになりました。
ちなみに、ご指摘をくださったのは三条八幡宮の赤天狗・快丸様であったようです。
それと、チャネリング結果を創作に使わないとはいえ。
実在の神社をモデル(作中で名前は出していません)として使わせていただくにあたり、執筆前にその神社へと参拝し、許可をいただけるかお伺いを立てました。
スピブログなので言ってしまいますが、モデルにさせていただいたのはどうやら私の産土神社であるらしい、堀出神社です。
参拝時にこちらの神様からいただいたお言葉は、
・神社に親しみを持ってほしいので、フィクションの舞台に使うこと自体は構わない。(守護霊さんが私の脳内にあった作品構想を神様に提出し)この内容なら書いてもいいだろう。
・完成した小説は無料で広く(インターネット上で?)公開するのが望ましい。しかし、本作りを体験したいという意向があるなら同人誌として作っても構わない。
・製作費の元を取る程度に収まるなら有料で売ってもいいが、この作品で儲けてはならない。
というような内容でした。
そのお言葉を受け、同人誌として無料で配布した後、インターネット上の作品投稿サイトで無料公開することに決めました。
実は、チャネリングの内容を小説として出力していた(と自覚した)のはこれが初めてではありません。
上記の、神社を舞台としてお借りした創作小説執筆より前、全く別の異世界ファンタジー小説を書いていた時のことです。
主人公が挫折し、そこから立ち直り新しい道を見つける。その過程のアイデアが突如蛇口が全開になったかのように溢れてきて、私はそれを夢中で書き留めたのです。
それを改めて見直すと、
「あ、これ、私に向けたメッセージなんだな……」
と直感できました。
その時の私が主人公と同じ悩みを抱えていた訳ではないのですが、主人公が立ち直る過程は私にとっても染みる内容になっていたのです。
念のためダウジングでも確認しましたが、やはり守護の方々が私に掛けたい言葉であったようです。
むしろ、それを伝える手段としてこの異世界ファンタジー小説を書くように仕向けられた(書きたい気持ちを掻き立てさせた)のだ……とすら表現できる状況とのことでした。
その時感じたのは、守護の方々の親身で懐の広い見守りへの感謝の念と。
私はこれまでも『創作』などしたことはなく、全て何か受信したものを頭で考えたと誤認していたに過ぎないのでは? という疑念でした。
守護の方々のメッセージだけでなく、例えば過去世の経験とか、心残りとか、どこかにある別の世界の風景だとか。
そういったものの欠片が顕在意識に浮かび上がり、それを繋ぎ合わせたのが私の創作なのでは? と。
霊体さんたちには「さすがに全てが受信の結果ではない(頭で考えた内容も含まれている)」とは言ってもらえましたが……。
お人形さんに関するご報告の記事でも言及した通り、ファンタジー小説の件以降も『創作アイデアを考案したかと思ったら霊体のメッセージを受信した結果だった』と発覚することがありました。
私は『創作が好き』『創作ができる』と名乗りを上げていい身分なのか。この年になって自信がなくなってきました……。