今年も終わりですね。

私の長時間労働の関係とか、霊的なイベントがあってもちょっとブログには書きにくい話題だったりとかで、どうにもブログの執筆間隔が空きがちです。

 

今回は私の『鈍感さ』について。

プロの霊能力者に限らず、日頃霊的存在と親しんでいる方のブログなどを見ると、その鋭敏な感覚で苦労されてきた経験を持つお方が多くいらっしゃるなと感じられます。

霊的な鋭敏さにより苦しむ霊体に感応し辛くなってしまったり。三次元の感覚的、あるいは精神的な鋭敏さで人の念を受けてしんどくなったり。

 

ブログ主はそういった『繊細さに基づく苦悩』の経験がほぼありません。鈍感さん、なのでね。むしろ自分の無神経さ・察せなさ・いい加減さなどにより繊細な方に心労をかけるタイプの人間だと心得ており、自制したり周囲を観察したりといった面での努力をしないといけないなと思っている日々です。

とりわけ、霊的な悪影響を受けた経験は多分ありません。多分……というのは、後から思い返すと霊障かな? と疑える身近な器具の故障があったからですが、私の心身がその辺に漂っている邪気とか、寄ってくる悪霊とかに悩まされた経験はマジでないのです。

 

鈍感だから、というのが理由の一つではないかと自分では思っています。アンテナがない(鈍い)というのはつまり、悪いものとも響き合わないということ。

しかし、こんなブログを書いていることからもお察しの通り、私はできるだけ霊的に敏感になりたいと願っています(努力している、とは言い難い)。龍さんや妖精さん、幻獣さん、眷属さんといった神秘の存在を知りたいから。

……ですがね。繊細なのがギフトなら、鈍感なのもギフトではないのかな、とも思うんですよ。霊的なあれこれに惑わされないというギフト。だとすれば、私はせっかくのギフトを捨てようと試みているのも同然なのでしょうかね。

 

 

 

……それと、もう一つ。これを書くと、自惚れ・思い上がりも甚だしいと受け取れられるのではないかと思うのですが……。

どうも私は『浄化力』が多少備わっているらしいのです。周りに漂っている邪気を多少なら自動的に霧散させている、のだとか。

私が選ばれた人間だから、などでは全くありません。人には霊的な才能・性質がそれぞれ備わっているらしいです。私はたまたま浄化の方面に力が発露している……とダウジングの結果では出てきます。霊的存在たちに聞いても、そういう人間はたまにいる(大多数ではないが、希少というほどでもない)とのことです。私の場合、血筋ではなく魂が持っている性質であるらしいです。

それでも術師とか能力者ではないので、これを使って能動的にお祓いなどができる訳ではありません。そういう道に進める才覚も覚悟もないし、性質を活かす努力をするとするならあくまで自衛のために……ですね。