お経とは、いわば、お釈迦様の講演の記録です。 お釈迦様の説法を、後世に残そうとした優秀な弟子たちが、 喧々諤々の議論の末、書き残されたものが、お経です。 お釈迦様、死んだ人相手に教えを説かれたとは、考えられません。 そもそも、死んだ人のお経を読んだら浮かばれるという考えは、 大変な間違いであると、お釈迦様ご自身が破られています。 お経には、生きている人が生きている時に 聞かなければならない教えを書かれていると、 この事実からも知られます。 しかし、難しい漢字ばかりで説かれているお経ですから、 誰でも全部読めるのではありませんし、 意味を理解することはできません。 今日、「お経みたい」と言えば、意味がわからないもの、という意味で 使われるほどです。 そもそも、「仏教」とはどんな意味なのでしょうか。 仏教とは仏の教え、仏の説かれた教えという意味です。 仏といえば、みな、死んだ人を仏だと思っています。 時代劇で、「これでは仏も浮かばれねえ」、とか、 「仏の身元を洗え」とか。 葬式にゆけば、「こんな死に顔の仏さんみたことない」とか、 そもそも、「成仏する」といったら死ぬことを表す。 「あのおじいさんも、とうとう仏になってしまったか」とも 聞こえてきます。 このように、みな死んだ人のことを、仏とか仏様と言っております。 しかし、もし「死んだ人=仏」とすると、 仏教は、仏の教え、仏の説かれた教えですから、 死んだ人が説いた教えとなってしまいます。 死んだ人が教えを説けるはずがありませんので、 死んだ人を仏というのは、大変な誤りであると、判られると思います。 では、仏様とはどんな方かといいますと、 最高のさとりをひらいた人を言います。 一口でさとり、といいましても、低い覚りから、 高い覚りまで、ピンからキリまで52の位があります。 ちょうど、力士でも、下は褌担ぎから、 上は大関横綱までありますように、 覚りの位も、52の位があり、すべて、名前がつけられております。 その最高の52段目のさとりを、仏覚とか、 これ以上高いさとりがありませんから、無上覚と言われます。 私達は、何のさとりも開いていない者でありますので、 0段目ですが、人間を、仏教では凡夫(ぼんぶ)と言います。 平凡な夫と書くでないかと思われる人もあるかもしれませんが、 たとえ、非凡な才能を持っておられる奥さんであったとしても、 仏教では、凡夫です。 「さとり」といえば、世間では、「悟り」という字を書きますが、 仏教では、「覚り」という字を、しばしば使われます。 「さとる」という言葉は、今日どんな意味でしょうか。 試験前に、オレ、さとったわ、と言った高校時代の友人がありましたが、 どう頑張っても、今度の試験、ムリ、というアキラメの境地を 表したかったようです。 自分の能力の限界を悟ったとか、彼女の心をさとったとか。 あるいは、世の儚きをさとったとか、世の真理をさとったとか。 さとる、という言葉は、真意を知る、理解する、体得する、といった 意味で使われます。 知る、理解する、体得するといっても、その内容が問題です。 今度の試験、オレ、ダメ、とわかったところで、何の意味もありません。 仏教で、さとる、と言われるのは、大宇宙の真理であります。 真理とは、仏教では、いつでもどこでも変わらないもの。 何時の時代でも、どこへ行っても正しいことのみを言われます。 数学的真理や、科学的真理という言葉もありますが、 ここで言われる真理とは、 古今東西のすべての人が、どうしたら本当の幸せになれるのか、 という真理です。 仏教では、これを真如と言われるので、 この真理、真如を体得して、私達に明らかにするために、 来たり現れられた人を、真如より来現した人という意味で、 如来と言われます。 ですから、仏様といっても、如来様といっても同じです。 釈迦仏ともいわれますし、釈迦如来とも言います。 奈良の大仏は、ビルシャナ仏ですが、ビルシャナ如来とも言われます。
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