お釈迦さまが托鉢(たくはつ)に出かけられると、

行く手が二股に分かれ、右へ行けば餓死する者もあるような大変貧しい村、
左へ行けば地主や商人の多く住む裕福な町でした。


お釈迦さまが右に歩まれるのでお弟子が、
失礼ですが道を間違われたのではと申し上げた時のことです。


「道を間違えてはいない。


■■彼らが現在、餓死するほどに貧しいのは、
 過去に欲深く、布施の功徳を積まなかったからである」■■



布施の行いによってしか、恵まれない今を変える術はありません。


その貧しい村の者を本当に、思うならば、
それらの者にこそ、布施の機会を与えたいと、お釈迦様は思われたのです。


托鉢の目的は、施しを受けるのが目的ではなく、
相手の方が施しをされる機会を与えるのが目的だからです。


貧しい村では、わずかに頂かれたものをお弟子たちと分かち合われ、
しばらく滞在され法を説かれたと伝えられております。


■■貧しき時与えるは富みて与えるに勝る■■

と言われます。


辛い時に、相手の幸せを念じて与える心こそ、素晴らしい、


布施は、ものがらではなく、その心がけが大事であると、
お釈迦様は教えられました。


■■施しは 生きる力の 元と知れ■■



■■慈悲蒔けば 衆苦の愁い遁れ去る■■



親切、施し、与えることは、つらい時ほど、大事なのです。



辛い時ほど、布施をすれば、

相手を思って親切に徹すれば(慈悲蒔けば)、

自分の悩み(衆苦の愁い)も

吹き飛ぶ(遁れ去る)でしょう。

あなたのつらい心が、ふっとラクになるお釈迦様の智恵。
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