40年の介護経験で一貫して変わっていない部分がある。

こだわり続ける敬語について。

 

私が関わり出した頃の介護現場は劣悪すぎて挙げればキリがないが、『混浴』『鉄格子の特養』『オムツ放置』…、コールが鳴って交換に行こうものなら『休憩中やから勝手な行動はやめて』と寮母に怒鳴られた。認知症徘徊対策向けの鉄格子やモニターなんて国の税金で作られた訳で今の学生たちは知らない。だから学校では過去の福祉施設の歴史もリア裏に伝えている。

 

『言葉使い』について今も議論になる永遠のテーマ。著名な三好春樹氏や逆転の発想和田氏は著書の中で不必要論を唱える。理由は確かにある。認知症が進み苗字で呼んでも旧姓しか覚えていなかったり、幼少期のあだ名だと反応しなかったり。なので『ちゃん付け』でも良いとする。そして、著名人のものまねをするが如く、現場では一択しかない施設もある。

 

上記、劣悪時代の施設では敬語という概念はなく『福祉でお世話になっているでしょ』という上から目線の寮母寮父が多かった(そもそも寮の母父って…なんなのだ…)。そしてタメ口が飛び交い、今なら虐待防止法に引っかかることも多くあった。そんな措置時代。

 

介護保険20年で変わったものもあえばそのままのこともある。

 

業界に関わり出した40年昔、家族のようになりたいという想いのもと、私は敬語ではなかった。しかし、『介護人だからできること』三好明夫氏に会い考えは大きく変わった。

 

『給料をもらっている以上、家族にはなれない。本当に家族になるのなら、あなたが給料をもらわず住民票を施設に移し、24時間365日一緒に暮らすことだ。私たちは給料をもらっているプロフェッショナルだ。だから言葉についてもプロでいなければならない』と言われたことを今も鮮明に覚えている。

 

措置時代にサービス業という考え方や民間参入が始まる介護保険の夜明けを経験し、敬語の依頼形を徹底していた喜楽苑グループに何度も実習に行き、『言葉』について深めていった。

 

ダブル三好氏の考えは真逆で対立しているが、私はどちらも肯定も否定もしない。あるのは勉強して勉強して、自分の中で納得した部分だけチョイスしている。

 

介護福祉士実技国家試験で、タメ口を使ったら果たして合格するのだろうか…

実技対策にも長年関わったが、チャレンジした者はまわりにはいなかった。

試験と現場は違うと言うのなら、厚労省も現場に合う合格基準に変えればいい。

 

10代から20代の介護日記を読み返していると出てきた言葉使い。他にもたくさんのテーマが燃えるように走り書きしてあった。あの頃を懐かしむのではなく、今も突き進んでいこうという気持ち。

 

こんな気持ちがある以上、もう少し現場で踏ん張っていけるのかな。幼少期に関わったこの業界。思えば遠くまで来たもんだ。