どうせ死ぬし、それまで暇つぶしすればいい。




昔それはもうめちゃくちゃ病んでいた頃、

生と死」について、考えているときがありました。



当時は考えるのをやめられなかったので、

とにかく自分の中で答えが出るまでじっと考え込んでいました。



今日は私がその苦悩していた時期に得た知見を

ここにまとめておこうかと思います。






強弱はあれ、人は誰でも死にたいとか消えたいって

思ったことはあるんじゃないかと思っています。



それであまりそれを言っちゃいけない、

触れちゃいけないみたいな風潮がありますよね。


「簡単に死ぬなんていっちゃいけません!」と教育されるけど

ふと考えてしまうような時期って、あったりするわけで。




私は大学3年の時、

就活のことやこれからの将来を考えて

何を希望に生きればいいんだろう、と

めちゃくちゃ考えてしまっていました。



すっごくやりたいことがあるわけじゃないし、

お金がある程度あればいいけど、

つまらない仕事はしたくない、

でも忙しいのも嫌!と・・・。(今思えばちょっとわがまま^^)



そう考えた時になんで私生きてるんだろう、と。

なんのために生きているんだろう、と思ったのです。



でも生きている理由が見つからなくて、

なら今死んだ方がいいのか?と考えたら、



人間は誰しも今のところ必ず死ぬんですよね、将来的に。



じゃあその死ぬまでの期間を楽しめばいっか

という考えに辿り着いたのです。



『どんなに死にたい、消えたいと願っても

どうせいつか死んでその希望は必ず叶うから、

は人間界生きて苦楽を味わい尽くせばいい』と。



そして偶然、後日「ゆるっと哲学」という本を読み

この考え方を再認識することとなりました。



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フロイトの考えによれば、

人間の"消えたい"という欲求は当たり前なんだとか。


詳しいことは私にはわからないのですが、


そもそも生まれる前と死んだ後しか

完全なストレスフリーの状態はないから

究極のストレスフリーになるために死にたくなるのは当たり前だと。



これを読んで私はとても納得しました。



じゃあなぜ、

時に"死ぬのやだな、生きたい"と思うのかを考えた時、



やっぱり少なからず私たちは

"希望・願望"を持って生きているのだろうと思うのです。



何もしたくないと思う時は、

"何もしたくない""ただ何も考えずにダラダラ過ごす"をしたい


何かしら今したいことがあるから生きているだと思いました。



どうせいつか死ぬんだから、

今したいと思えることをやることが1番の幸せ。



そのためには我慢とかきつい期間もあったりするけど、

その時には、



「へえ、人間界ちょっと大変じゃん...

まあ、どーせ死ぬし、辛いことも楽しんでヤルワ★」



ぐらいのマインドで行きたいと思っています。