日に三転す
この宇宙に存在するものは、すべて刻々に動いている。
万物流転、きのうの姿は、もはやそのままではきょう存在しないし、一瞬一瞬にその姿を変えつつある。
いいかえれば、これはすなわち日に新たということで、日に新たな生成発展ということが、この宇宙の大原理であるといえよう。
人間もまたこの大原理のなかに生かされている。
きのうの姿はきょうはない。
黒々に移り変わって、刻々に新たな姿が生み出されてくる。
そこにまた人間社会の生成発展がある。
人の考えもまた同じ。
古人は「君子は日に三転す」と教えた。
一日に三度も考えが変わるということは、すなわちそれだけ新たなものを見いだし、生み出しているからこそで、これこそ君子なりというわけである。
日に一転もしないようではいけないというのである。
おたがいにともすれば、変わることにおそれを持ち、変えることに不安を持つ。
これも人間の一面であろうが、しかしそれはすでに何かにとらわれた姿ではあるまいか。
一転二転は進歩の姿、さらに日に三 転よし、四転よし、そこにこそ生成発展があると観ずるのも一つの見方ではなかろうか。
松下幸之助『道をひらく』PHP、1968年、44頁