『たましい』ってなんなん???

って思いません???


天意んちゅ

思う〜


いろいろ

お勉強すればするほど


私達が

『たましい』って

認識 解釈 理解しているような

『たましい』なんてものは

ないことはわかった


だから

ツインレイは

一つの魂が2つに分かれて

とか言ってる時点で

終わってる


そもそもないもんが

どーやって

分かれるねん!?

って話。。。


最近

『わたしはいない』っていうのが

分かりはじめたのよね

でね

腑に落ちたとか

体験したってことじゃなく


理解が追いついてきただけね



理解しようとしてるだけだから

結局は

じゃあ『たましい』は?

という 最後の最後の

残便感???

みたいなものが 出きらずに

便秘状態


昨日の投稿で書いたように

喪失感の中に

漂っているだけの私の耳に


「暇過ぎて どーしようもない」


という言葉が

通過していった


ってか 相談されたんだけどね

「暇過ぎて やることないんだけど

天意んちゅは

そんな時 何してるの?」って


天意んちゅの答えは


「おねんね」

だよ 笑

ただただ 寝てる


眠りたいんだよ 今は

暇があったら 眠りたい


これまでは

暇があったら

「アレして コレして」って

身体をフル活用してたけど

今は ただただ


「おねんね〜」

と思って 眠ってる


朝と夜の30分の瞑想中も

8割がた 寝ちゃってる 笑


それで良いのだ!


『たましい』が眠りたがっている…

なんだそれ!


身体が休みたがってるだけだろう!

瞼が閉じたがってるだけだろう!

瞼が重いのだ!



眼瞼下垂か?!

そのうち

眼瞼下垂の手術もするぞっ!

(保険がきくまでは待つ予定)


よくさ

寝てる時は あの世に帰ってるとか

神様に会いに行ってるとか

言うけどさ


完全に意識を失って

眠っている時って

私と私の外は

一つになっているのかな?

とか 思うことない???


昔むかし

手術中に麻酔から覚めて

痛みはないけど感覚はあって

身体は動かない(動いてないと思う)状態で

意識だけはあった時に

耳から前だけの顔のみの

お面のような状態になっていて

身体がないから

空を飛んでるように感じになってて

お面のような顔以外は

白と黒の市松模様が

ぐにゃぐにゃに歪んだ映像で

私の意識が向いてる範囲だけが

鮮明な景色の映像が見ていて 

そこ意外は 市松模様。。。


後ろを振り向けば それに合わせて

意識できてる部分だけが鮮明で

そこ意外は市松模様に変わっていく

っていう

気持ち悪い体験をしてたのね…


当時は VRとかなかったけど

ゆーたら

VRのメガネみたいなのに

感覚としては似ていて

メガネに写ってるフレームの外が

市松模様みたいな感じ

気配としては感じるけど

目で認知してない部分が市松模様


ほんとに

気持ち悪い感覚だっけど

本当は あの世界観なのかな?

って思う自分もいて…

見えてない部分は

本当は存在していないのかも?


今は カフェで

このブログを書いているけど

そんな時

私の自宅やお店は

なくなっているのかな?とか

思ったりしない???


常識的には

そんなわけねーだろ!

って思うけど


もしかしたら

そんなわけあるのかも?



私が認識した限りの

『わたしはいない』を

突き詰めて行くと


『わたし』がいない以上

一般的に言われるような『魂』が

あろうはずもなく…


『魂』がないのなら

『私』と分別していない

『わたし』の正体は一体 

なんなだ?!

という 堂々巡りを


頭で理解できる時は

来るのかなぁ?


ノンデュアリティで言われている

『わたしはいない』を

わたくし 天意んちゅは

『私』という存在(身体?)が

『いない』と言っているように

解釈していて

なんか違うのは 分かってるけど

『わたしはいない』という

日本語

どう解釈しても

『私は存在しない』という

ニュアンスでしか受け取れなくて

混乱していたんだけど…


『私』と分別している

『物体』に『実体』はない

という風に言い換えれば

理解できるんだよね。。。


それが理解できたら

『わたしという実体がない』以上

『わたし』と『わたし以外』を

分別することができないわけで…


便宜上

この皮膚の中を私とする!

ってことはできるけど

それは『私』であって

わたし』じゃないんだよね…

便宜上 設けているだけだから


ややこしいけど

『私』と『わたし』の

使い分けの意味を汲み取ってね…


『私はいる』(便宜上)けど

『わたしはいない』んだよ


『私はいる』は

分別の世界においてのみ

定義つげられる『私』であって

『わたし』ではないんだよね…


『わたし』という実体がないのに

『魂』が存在するって

おかしくね?


『魂』は『私の世界』には

あるかも知れん

それは 人間が勝手につけた

ネーミングだから…


でも 『たましい』は

本当にあるんかな?


『私』の境界線がなくなって

『わたしがない世界』には

『たましい』があるとしたら

一つなんやないかね?


ややこしいねぇ…


おねんねしよ


頭を休めて

おねんね

しよぜぇ〜

今は夜です^ ^

予約投稿してますゆえ…



天意(あい)のままに

我 ままで

すべてはうまくいっている♫