前回の続きです![]()
日本へ戻ってからも色々とありました![]()
まず旦那は(当時は旦那ではないので以降、現旦那とします)JETプログラムという日本政府が公立学校に外国人アシスタント教師を送り込む、いわゆるALTとして日本へ行ったのですが、このプログラム手取り足取りお世話してくれるけども(配属地域にもよりますが、当時は今より条件も良かったようです)、自分の住みたい場所に住めないのです![]()
一応、配属希望県が3つまで出せましたが、旦那は希望3県の真ん中?(ダーツの旅?w)辺りの中国山地の山のふもとの村、いわゆる山間部の田舎へ配属されました![]()
私も都会育ちではありませんが、さすがに何でも揃っている中核都市だったし、マクドもないコンビニが2件、西日本チェーンのファミレス1件くらいの田舎では仕事もないし、ひとまずは実家へ戻り、両親の自営業を手伝うことにしました。
高速で片道4時間ほどの距離を連休などに何度も行き来していましたが、相変わらず仲良く久しぶりの日本旅行など楽しみつつも、問題だったのは旦那にその当時結婚願望がなかった![]()
というより結婚なんて紙の上のものだと信じていなかった![]()
お互い好きなら結婚なんかにしばられなくても一緒にいればいいと![]()
両親の離婚で傷ついていたことも影響していたかと思います。。
そして私は三十路目前
(結婚焦るよね~
)
バンクーバーで何度か別れては戻ってを繰り返していたものの、その時点で6年くらいは付き合っていたし、そろそろ決めてもらわないと、と不安な私とは反対に旦那はずっと来たかった日本での新しい生活を楽しむことに夢中な様子![]()
根がポジティブな人なので、私がシリアスな話をしてもいつも大丈夫だから~的にまとめられてしまっていたのですが、さすがにこのときは親に安心してもらうためにもきちんと結婚という形でケジメを付けて欲しいと思い、結婚する気がないなら別れる
と伝えました。
当時からどちらかと言えば俺様系だった旦那はプライドも高く(根は優しい人なんですが、プライドが邪魔して素直じゃない
)、’別れたくはないけど、二者択一を迫るならオレはNoというしかない、と返答。。
このようなケンカは何度もしてきていたため、旦那も私が本気で別れるとは思ってなかったようですが、このときの私は本気でした![]()
が、旦那大好きな自分に負けないために、しばらく会えない距離に離れようとギリホリでオーストラリアへ行くことにしたのです![]()
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バンクーバーで縁あって出会った親友がアロマセラピーの勉強でシドニーに住んでいたので、彼女を頼って私もシドニーへ1年間住むことにしました![]()
長年の色々から解放された1年のオーストラリア生活は私の人生の中でも楽しい思い出がたくさん詰まった人生の1ページとなりました![]()
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たかが1年、されど1年![]()
美味しいオーストラリア産とニュージーランド産ワインをたらふく飲んで、思春期以外で一番ぽっちゃりしてたのもこの時期です![]()
オーストラリアのポートワイン美味しいよ♡
列車横断の旅でエアーズロックへも![]()
そしてこのシドニー滞在中に4つ年上のオーストラリア人男性Danと知り合い、結婚を前提にお付き合いすることに![]()
そのときは、はやはり長年のどうにも進まない関係を手放したからこそ、やっと本当の幸せが手に入ったんだ
と浮かれていました![]()
Danはバリバリの営業マンでしたが、週末は料理を作ってくれたり、色んなレストランに連れて行ってくれたり、プレゼントも女の子が喜ぶような趣味の良い物をたくさんプレゼントしてくれたりと、現旦那には尽くしてばかりだった私にはお姫様扱いしてくれる彼がとても新鮮でした![]()
が
ww
あるとき気付いてしまったのです、、
Danは当時私のことが好きだったのは嘘ではないと思いますが、それ以上に’そんな素敵なことをしている自分’
が好きだったのです![]()
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それに気付いてからは、もちろんうまく行くはずもなく、1年も経たずお別れしました![]()
何より、Danの行動が素直に喜べなくなってからは、何かと現旦那を思い出すことが多かったんです![]()
そして今でも私の人生で大きな出来事だったのが、Danと別れてすぐにバンクーバーの友人が結婚することになり、結婚式へ参列させてもらうためにバンクーバーを訪れることにしたのです。
ちょうどオーストラリアを引き揚げ、日本で仕事を探す前のタイミングだったため、3週間くらいカナダでのんびりしようと思ってチケットを買った後に、滞在させてもらう予定の友人がその中の1週間だけ急遽都合が悪くなり、どうしようかな~と思っていたところに、貯まったエアマイルでラスベガスで行けることが分かり、10日間ほどベガスを拠点にレンタカーを借りてグランドサークルを一人旅することにしました![]()
そして、その時にルート66を通ってセドナ、グランドキャニオン、アンテロープキャニオン、モニュメントパーク、サンタフェ、ザイオン国立公園などを一人で回り、たくさんのハイキングコースを巡ったんですが、一人だから長距離ハイキングは自分との対話というか、現旦那とのこと、今までの人生での失敗なんかがぐるぐる回るわけです![]()
そして40℃越えの谷底ハイキングや険しい岩をよじ登って辿り着いた美しい景色なんかをみながら1日1日を過ごしていくうちに、自分の中でのネガティブなものがどんどん浄化されていく感じがしたんです![]()
そして現旦那と別れてから初めて、自分が彼への思いから自由になった気がしました![]()
*私はスピリチュアルなことは肯定も否定もしないタイプですが、このときばかりはパワースポットという感覚をひしひしと体験しました![]()
元気になれる場所というのは存在するんだな~と![]()
そんな体験をして日本に帰ったところに、現旦那から会いたいと連絡が![]()
迷いましたが、その時の私はパワーをもらって現旦那にはもう振り回されない自信があったので、会うことに![]()
で、、、、、なんのこっちゃない元サヤですね![]()
違っていたのは、現旦那が私がいなくなってから私の大切さに気付き、私と結婚して一生を共にしたい!と強く思っていたことと、パワーアップした私が旦那に合わせて不満ぶーぶーの関係から一転、旦那がいなくても私の人生が楽しめるということが分かったから自分のしたいことはする!それで別れたいならそっちの勝手、という強気のスタンスになったことですかね![]()
ですので、この2年ほどの別れていた期間があってこその、私たちの結婚生活だと思っています![]()
旦那は今でも昔の尽くす優しい私が忘れられないようで、たま~に昔はああだったのに~とか文句言ってますが、放置![]()
しかし俺様は健在で、日本の皆様がイメージするジェントルマン!ではないのでw、家事はもっぱら私担当ですが(旦那は力仕事担当、かな
)、尽くされて調子に乗って嫌な女になっていくよりは、こっちのほうが自分の性に合ってるかな~と日々自己暗示掛けてます![]()
よりを戻してからは、私が運良く塾講師の仕事がみつかったこともあり、旦那の住む中国山地の田舎で一緒に暮らして田舎生活を満喫してから(ご近所さんが農家やみんなさん家庭菜園されていて新鮮なお野菜を買わなくていいのよ~キノコや山菜も美味しいの
)、彼がALTの最大の任期である5年になってしまったこともあり(これも地域の教育委員会などによって規定が違うようです)、無事結婚してカナダへ戻って来ました![]()
そうそう、当初は旦那1年だけのつもりで行った日本でしたが、田舎の中学生が純粋な良い子ばかりで、とても癒される職場だったらしく、更に当時円で稼いでからのカナダドルへのレートがよく学生ローンが順調に返済できたこともあり、なんと毎年仕事を更新した結果最長の5年も滞在したのでした![]()
しかもその県、実はそれまでALTの最長勤務期間が3年だったのですが、人当たりのよい旦那の評判が良く、旦那の更新を延ばすために5年と規定を変えてくれたのです
(気を抜くと愚痴ばかりになるので、少しは良いところもちゃんと書いておかないとね
)
ちなみに挙式は日本とバンクーバーのほぼ間ということで、GWに親しい家族友人30人ほどを招いてハワイでアウトドアウェディング挙げました![]()
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出会ってから10年かかった結婚でしたが、その後とっても幸せな結婚生活を送っています![]()
と、映画だとHappily ever afterの展開ですが、ここは現実、その後も色々あります![]()
が、お互い気持ちは変わっていないので、なんとか夫婦生活を楽しみつつ7年以上が経ったところです![]()
長~いカナダで暮らすことになった経緯となりましたが、ここまでお付き合いくださりありがとうございました![]()
次回はなぜバンクーバーへ戻らず、カナダ北部の今のお店でママさんになったかの経緯について書いていきたいと思います![]()
















