今日は人によってはセンシティブな話かもしれません。
個人的に主流な宗教であれば、その根底の考え方は良い物だと考えています。
宗教団体に所属するかどうかは別として、信仰心を持つのもよいことだと思っています。
四大聖人といわれる人たちの教えは、時代を超えて学ぶべき点が多くあると思います。
今日このタイトルにしたノリは一応理由があって、
以前から足つぼの先生が「宗教やってる奴はやられているから・・・」
という話を聞いていて「?」と思っていました。
ここ最近、信仰を持っている方と何人か話、とても違和感があったので、頭の整理を兼ねて書いてみようと思いました。

結論から言うと、
洗脳性が強いといったほうがいいのだと思います。
どこに違和感がというと、
自分で考えることを放棄しているように思えたところです。
それぞれ宗教には教義があります。
キリスト教にはキリスト教の、イスラム教にはイスラム教の、仏教には仏教の教義があります。
そして、大枠でくくった中でも各宗派によって、全然違ったりします。
その教義の枠の外の質問をすると、
考えたことないとか、
教えラテていないとか、
とにかく思考を放棄します。
そして、日本の教育にもある意味同じことが言える部分があると思います。
一つの答えを出すように誘導するような教育。
たとえば
10×4=□
のような一つの答えを導き出します。
でも人生は
〇×△=50
みたいなことの方が多くありませんか?
答えというか、生きたい方向はある。
でも、そこに至るための方法は無限にある。
本来はこんな感じに幅を広げる教育が行われればいいなぁと思いました。
話は元に戻って、
教義や信仰心をベースにするのは問いと思います。
ただ、その枠に自分をはめない。
自分の頭で考え、自分の感覚を大切にしていきたいと思います。




