昭和34年3月、私は高等学校を卒業した。文科系進学クラスに所属し、同級の男子は猫も杓子も大学経済学部への進学を希望していた。そして、大学卒業後、会社へ就職することを予定していた。彼らは大部分が東京方面の大学を卒業し、同地の会社に就職し、同地の女性と結婚し、出身地には帰らなかった。男性に殆ど公務員になる者がいなかったのは理由が分からない。私だけ大学教育学部に進み、人間の成長と発達について学び、家裁の人(調査官)として、多くの人々や家庭を見て、自身も子育ての要領を知ることができた。
昭和34年3月、私は高等学校を卒業した。文科系進学クラスに所属し、同級の男子は猫も杓子も大学経済学部への進学を希望していた。そして、大学卒業後、会社へ就職することを予定していた。彼らは大部分が東京方面の大学を卒業し、同地の会社に就職し、同地の女性と結婚し、出身地には帰らなかった。男性に殆ど公務員になる者がいなかったのは理由が分からない。私だけ大学教育学部に進み、人間の成長と発達について学び、家裁の人(調査官)として、多くの人々や家庭を見て、自身も子育ての要領を知ることができた。