こんにちは、葉月です

いつもご訪問ありがとうございます。




母が亡くなってから、あっという間に
1週間以上が経ちました。



4月2日に火葬をし、
それ以降は、必要な届出について
役所などへの問い合わせに明け暮れていました💦




それに、母は一人暮らしだったので、
住んでいたアパートも引き払わなければなりません。


アパートも今月いっぱいで退去することにし、
そこに向けて遺品整理や粗大ゴミ処分も
していくことになりました。




しかしです…ビックリマーク

遺品整理する段階にまで、全く進んでおりませんビックリマーク滝汗




最初はとにかく、
期限の短い手続きがあるので、
手続きに必要な書類などの情報収集を
ひたすら行ってましたが、


今度は、
これまで蓄積した疲労の反動が来たのか
体が言うことを聞かず、
ひたすら寝る日があったり、


寝たかと思えば、
今度はなかなか寝れなくなる日があったりと
とにかく体調にゆりもどしが来ているように
感じていますあせる




それから、感情の面でも
大きく揺さぶられていますあせるあせる滝汗




不思議なもので、母が亡くなった直後は
亡くなったことの実感はほとんど湧きませんでした。



火葬が終わり、アパートに一人になり、
手続きを進めていくうちに
じわじわと気持ちが不安定になっていきました。


ほんと、不思議なものです。



特に意識したわけではなく、なぜか
自然と涙がダバーッビックリマークと出てくるんです笑い泣き笑い泣き



あ〜これは普通ではないわ



と、頭は冷静でも
体はやっぱり正直です。




そんな感じで数日間を廃人のように暮らし、
その様子を見かねた夫が
また今日から来てくれることになりました。

(夫は母の火葬後に再び東京に戻っていました)



すまぬ夫よ…不甲斐なし滝汗





体が言うことを聞いてはくれませんでしたが、
この1週間で色んなことがあり、
書きたいことはたくさん溜まってしまいました。



・介護生活をして良かったこと
・母が亡くなった直後に起こったこと (怪奇現象?
・母を火葬した日
・母が育てたインコのピッピのその後
・ガンで中断していた父との離婚調停の結末




記録として残していきたいので、
また、気持ちの整理をつけつつ
順番に書いて行けたらと思います。










こんにちは、葉月です。



今朝、母が旅立ちました。




夫が2日ほど前に来てくれて、
ようやく2交代制で介護生活が
始まったのですが、


その頃から、
夜中に母があまりの苦しさに
精神が不安定となり、
わーっと騒ぐようになりました。


とにかく辛いから、
早く薬で楽にして欲しい


と騒ぐのです。



なので昨日、お医者さんに連絡し、
麻薬の薬を増量してもらうことを
決断しました。



薬を増量した昨夜は
騒ぐことも唸ることもなくなり、
呼吸の音だけが聞こえていました。



そして今朝、私が6時頃に起きたとき
微かに息をしていたのですが、
あまりにも弱い息だったので
側で寝ていた夫を呼んですぐに
二人で母の様子を見ましたが、
その時に、母の呼吸が止まりました。



母が息をひきとる瞬間でした。




夫と二人で母の最期を
見届けることができ、
本当に感謝しかありません。




30年ほど前の、母と私。
母の部屋の整理をしていたら、
昔の写真がたくさん出てきました。




母はとても美しい人でした。



清く正しく美しく生きる人。




それ故に苦労も多かったけど、
私の憧れの人でした。



ありがとう、お母さん。






睡眠不足が続いていたので、
今日はこれで寝ます。


また、詳しいことは
後ほど改めて書きたいと思います。




こんにちは、葉月です黄色い花

いつもご訪問ありがとうございますクローバー



前回のこの記事の続きです。




前回の記事では、
本当に辛いと思ったことの
1つ目を書きました。





では、介護生活の中で、
本当に辛いと思ったことの2つ目ですが、




それは、



怒りの感情をぶつけられること



です。



前回の記事では
身体的な辛さをあげましたが、
2つ目については
精神的な辛さとなります。




母からしたら、
どんどんと体の辛さが増し、
気持ちの余裕が
なくなっていくのでしょう。



そして、話すことも精一杯なので
介助してくれる相手に対して
やって欲しいことを上手く伝えることもできず、
自分の体の辛さをどうにもできない
もどかしさや悲しさが怒りとなって現れます。








母の場合はこうでした。



夜中に母がガサガサと動く音に
私は目を覚ましたのですが、


自分でものを取ったり、
水を飲んだりしようとしたのか
それが上手く出来なかったようで、
かなり苛立っている様子でした。



その後、私が介助に入って
水を飲ませようとしたのですが、
そのやり方が理想と違ったようで、



◯◯な様にしてっていつも言ってるじゃない!
何度も何度もそうしてって言ってるのに、
なんでわかってくれないの!



と言いました。



でもね、
私は間違いなくそのことについては
初めて言われた要求でした。



母には認知症はないのですが、
薬や体の症状の影響で、
確実に認知度が低下していっています。



母にとっては、
心の中で何度も思っていたのでしょうが、
いつの間にか、
私に何度も伝えているという認識に
なってしまった様です。



お母さん、それは初めて聞いたよ
と言っても、

母はとにかく誰かのせいにしないと
怒りがおさまらなかったのです。



いや、何度も言っている!
あなたはそれをちっとも聞かない!


と。


私は、その言葉は
母の本当の気持ちではないと
よく分かっています。



母自身も、自分のもどかしさから
人のせいにしか出来ないということを
充分、分かっているのだと思います。



でも、分かっているけれど、
このやりとりをしているときは
本当に、お互いに悲しい気持ちになりました。



お互いの
自分の望みを聞いてくれないもどかしさ
相手の望みを聞いてやれないもどかしさ
悲しさを募らせるのです。




母もあまりのもどかしさに終いには


本当にごめんね…


と泣き出してしまいました。



そう言ったところから、
やはり本心ではなかったのだと分かります。







こういった時には、
母の気持ちに共感するしかありません。




お母さん、
お母さんの言いたいことはよく分かるよ〜
ごめんね、
すぐに分かってあげられなくて
私も悲しいよ〜


と。


そうすれば、
下手に言い争いに発展してしまい、
さらに悲しい気持ちになることには
なりませんから。









ここまで、
介護の辛さを書いていきましたが、
介護は辛いことばかりではありません。



次は、介護生活の中で感じた
良かったことを書いていきたいと思います。







今の状況として、


母はもう食べ物だけでなく
水を飲むことすら難しくなってきてしまいました。


水を飲んでも嘔吐してしまいます。



先生からも、かなり厳しい状況だと
伝えられました。



次にいつ更新できるかわかりませんが、
今の一瞬一瞬を大切にしていきたいと思います。






こんにちは、葉月です黄色い花

いつもご訪問ありがとうございますクローバー



前回のこの記事の続きです。



現在、介護生活となってから
1週間以上経ちました。



実際に経験してみると、あまりの大変さに
1週間でも体がもたないビックリマークと感じますガーン




特に大変だと感じたのは2つ


トイレの世話や嘔吐物の処理でもありません。
(確かにこれらも大変です。。。)





まず1つ目は、


夜中に何度も起きなければならない


ということ。



これは特に身体的な辛さですね。






体調が悪化したりするのは、
昼夜問わず起こります。

そして、母は自力で起き上がったり、
歩いたりすることも出来なくなってしまったので、
ほんの些細な動作でも
全てに介助が必要となりました。



ですが、認知症ではないので


〜をして欲しい。
〜でないと嫌だ!


と、様々な要求をしてきます。




これは母の性格もあるのかもしれないですが、
病が重いと体の感覚がかなり敏感になるようで、


・ほんの少しの音
・光の加減
・わずかな味の違い
・温度差 など


にも気をつけなければなりません。



このような、
細かい要求や急な体調不良に
夜中であってもすぐに起きて
対応しなければならないので、
けっこう体にこたえますあせるあせる



もちろん、トイレ介助も昼夜問いませんビックリマーク




私の母の場合は、
夜中のトイレ介助もそうですが、
急な痛みを訴えることが多いので
起きて薬を飲ませたり、
急に嘔吐することも多いので
汚れた服やシーツなどの取り替えもあります。



当然、満足に寝られないわけですから
日中も眠気におそわれますし、
少しずつ体の調子にズレが生じていくのが
分かります。。。



そして、2つ目の内容
次回に書くことにします


(今のうちに寝ておかないとねビックリマーク)




こんにちは、葉月です黄色い花

いつもご訪問ありがとうございますクローバー


先日書いた、この記事の続きです。



在宅医療に切り替えるための
カンファレンスに参加してきましたが、
私は、自分と母の要望を伝えるのみでした。



あとは、
今のかかりつけ病院の看護師さんと
次の訪問看護の看護師さん同士で
母の状態について引き継ぎし、


ケアマネさんが、
クリニックの先生や
福祉用具の業者さんたちの
スケジュールを調整してくれて、
あっという間に退院するまでの
段取りが決まりましたビックリマーク



流れとしては、
カンファレンスの翌日に
介護ベッド、ポータブルトイレを自宅に設置。
そして、さらにその翌日に退院。





カンファレンスの翌日、

ケアマネさんと福祉用具の業者さんが来てくれて、
ベッドとトイレを設置してくれました。



せまくて物が多い部屋だったのですが、
皆でレイアウトを考えてくれて、
家具類を大移動ビックリマーク


きれいにベッドがおさまりました。




そして、退院当日。

母の家はアパートの2階なのですが、
母がすでに自力で階段を
登れなくなってしまっていたため、

なんとビックリマーク母を車椅子に乗せて
看護師さんたちが4人がかりで
車椅子ごと持ち上げて
2階の階段を登り、
家まで運び込んでくれましたビックリマーク


女性4人のフルパワーに感動ビックリマーク笑い泣き



そして、家についたら
さっそく新しいお医者さんが来てくださり、
診察がスタート。







ケアマネさんにケアプランの依頼をしてから、
実際に母が自宅に帰ってくるまで
私はほとんど何もしていません滝汗



カンファレンスへの参加と、
家の掃除と、
母を病院に迎えにいったくらい。。。



色んな人たちが関わってくれて、
ここまでやってくれるなんて。。。


そして、皆さんが口々に声をかけて下さり、


どんな些細なことでも気兼ねなく、
いつでも相談してくださいねビックリマーク


と励ましてくれるのです(泣)


本当に感動的でしたキラキラ笑い泣き





そして今現在はというと。。

介護生活の過酷さとはどういうものか、
身をもって体験していますビックリマーク滝汗



次回に続きますひらめき電球


(今も合間を見て書いているので、
いつもより更新が遅くなるかもしれませんあせる)