ぼっちあるき

ぼっちあるき

物語とか街歩きとか

雪が舞い始めた。

年が明けてまだ二日なのに、訪れる人のないお寺。掲げられている絵馬は新しいものが多く、それが唯一正月であることを告げているものの、社務所の中の人は所在なげにぼんやりと座っている。

碧は本堂の前の長椅子に腰掛けて、どこを見るとでもなく、社務所の人と同じようにぼんやりと中空に目を遣る。門前に建ち並ぶ民家。寺を囲む農地。まっすぐ下りて来ない雪。眼鏡を掛けていても、どこにも焦点が合わない。

でもこれでいい。家に居たって居場所がない。せっかくの正月休みだし、ホントは自分の部屋でのんびり過ごしたかった。友達と旅行にでも行けば帰省しない言い訳になるんだろうけど、そういうのは苦手だ。そんなに気の合う友達なんていないし、女同士の旅は我儘の押し付け合いになる。どちらかが引かなきゃいけなくなって、我慢するのはいつも私だ。

嘘も方便だから、親には旅行だと言って帰省しなければいい。だけどそういうのって、いつかバレる。バレたら開き直ればいいのだろう。周りはみんなそうやって生きている。私にはそれが出来ない。不器用でも馬鹿正直でもなく、嘘を吐いているという状況に耐えられない。たぶん部屋でゴロゴロしていても落ち着かなくなってしまう。敢えて言葉にすれば小心者なのだ。

人の評判なんて気にしなくていい。そんなアドバイスっぽい言葉を貰うことも多い。リスク回避は仕事上役立つことがあるかもしれないけど、人生行路はそうはいかない。それは分かっているつもりだけど、危機的状況を自ら招き入れるのは違うと思ってしまう。

 

秩父十七番定林寺の古い本堂と石畳

「石橋を叩いているうちに人生が終わっちゃうよ」

母親にそう言われて、私は今ここにいる。人間も動物だし、繁殖に適した年齢があることは十分理解している。それだけなら別に、繁殖しないという選択をしているという意思表示で乗り越えられる。周りの声なんて気にしなくていい。

私の心を抉るのは私自身なのだ。いくら脳の新皮質で理屈を捏ねても、本能がそれを許さない。「子孫を残さなければ人類は滅亡するぞ」と警鐘を鳴らしてくる。そんな大袈裟なとは思うけど、正論なので刺さってしまう。

さっき危機的状況って言ったけど、実は人と一緒に暮らすのが苦手なのだ。メディアのインタビューで理想の相手を問われ、「空気のような(一緒にいて気にならない)人」と答える人がいるけど、アレは奥が深い。だったらいっそ、空気だけと一緒に暮らしたいと私は思ってしまう。

本能は別なアプローチをしてくることもある。「恋を知らずに人生を終えてしまっていいの?」と。それはいつも与謝野晶子の姿を借りて語りかけてくる。「柔肌の熱き血潮に触れもみで寂しからずや道を説く君」って、確か男性に向けた言葉だったと思うけど、私には物凄く刺さってしまう。

体に自信なんてこれっぽっちもないし、抱かれたいなんて本気で思ったことはないけど、なんか刺さる。たぶん理屈っぽくて慎重な性格のせいだ。でも人との距離を詰めることが苦手なのに、触れ合うなんて想像もつかない。

「どうしてこうなっちゃったんだろうな」

溜息が言葉になって漏れる。その言葉には後悔の念が混じっている。私がいくら否定しようとも、それは事実だ。私だって恋はしたいし、たぶん触れて欲しいのだ。言ってて恥ずかしいけど、恥ずかしいという感情があるってことは、まさにそれが事実なんだろう。

「はぁ…」

今度は溜息が正しく翻訳された。

「体が冷えちゃうし、そろそろ帰らなきゃ」

碧は立ち上がり、服に着いた雪を払い落とす。

「明日の朝イチで帰っちゃおうかな」

誰に言うでもなくそう呟いて、碧は歩き始めた。