ぼっちあるき

ぼっちあるき

歩きながら考えてみた

自然環境に身を委ねていたら、もはや生き抜くことすら叶わぬのではないかと思った夏。ある時は煙草を吸って空腹を誤魔化し、またある時は一昼夜を水だけで過ごし、羽化し損ねた蛹のようにじっとしてやり過ごした。

 

それでも、蛹のままで朽ちてしまわぬよう、意志だけは強く持った。困難に陥った時には、「時間が解決する」という魔法の言葉が効力を持つ。ただその魔法も、諦念や悲観に覆われてしまうと全く役に立たない。欲求はいつだって時間を無視して、「今すぐに」と急き立てて来る。「解決する前に息絶えてしまうのではないか」と考え出したら焦燥感に苛まされる。一気にMPが0になる。

 

日常の反復は退屈だけど、それを是としなければ生きることがままならない。ままならぬとは分かっていても、常に非日常を求めてしまう葛藤。もし非日常な世界線に移ることが出来たとしても、それが反復されれば新たな日常になる。頭では分かっているつもりでも、「ここではないどこか」を求めてしまう。

 

もちろんそれは、地理的な場所の移動ではない。だから電車に乗って見知らぬ土地に出掛けた所で、根本的な解決は得られない。ただ、新奇探索傾向が満たされてドーパミンが出るから、気は紛れる。人間たる僕は快楽に弱く、それが一時的な逃避だと分かっていても手を出してしまう。その意味では、ジャンキーの気持ちが少しは理解できるかもしれない。

 

 

夏至から二か月以上の時が経ち、夜が少しずつ長くなってきた。僕はずっと夜が好きで、それはたぶん中学受験の頃からだと思う。受験勉強という十代最強の呪文は、夜更かしの贖罪になる。家人は寝静まり、窓の外は静寂に包まれ、時折微かに電車の走行音が聞こえて来る。誰にも干渉されない聖域が保たれる。

 

勉強なんてしていない。机の上に問題集は広げているけど、シャーペンを指でくるくる回しながらラジオを聴いていた。リスナーからの「ながら勉強しています」というメッセージがDJに読まれても、「同じだ」なんて思ったことはない。僕はただお気に入りの音楽を聴きたいだけだし、ながら勉強ならぬ「ながら妄想」ばかりしていた。

 

そうして時には夜を明かし、眠れぬまま登校していた。眠ってしまった時は、業間を狙って登校した。それを揶揄してくるクラスメイトもいたけど、それなりの成績を残していれば学校から咎めを受けることはない。学校というのはそういう所だと思っていたし、教師の評価なんてそんなもんだと思っていた。少なくとも、各人の個性(キャラクター)なんて見ていなかったと思う。

 

あぁそうだ。今と全く変わらない。社会人になって変わったのは、業績(成績)よりも出社(登校)が評価対象になったくらいだ。だから僕はずっと皆勤だ。不思議なことに、毎日出社していれば、それが一番評価される。能力的な意味で僕の代わりはいくらでもいるけど、休まない人って実はあまりいないのだ。

 

「夏って鬼門だな」と思う。日常生活を送ることすら困難なのに、普段通りにルーティンをこなし、あまつさえバカンスをこなさなければならない。冒頭の通り、ワープアな僕には中々にハードなのだ。そして何故か夏が来ると、人生の岐路が訪れる。他責にするつもりはないから、鬼門としか言いようがない。

 

9月になった。「ツキが変わる」なんてありきたりだけど、「秋は夕暮れ」と謳われる夜風の後押しを受けられる。なんといっても大好きな夜の時間が長くなる。快楽に弱い僕は風(気分)にも弱いから、きっとなんとかなるだろう。「なんとかなる運」だけは、人一倍強いはずだから。