起きていると碌な事がない。起こってもいない事をあれこれ想像して不安に駆られ、時には焦り、時には絶望してしまう。いっそこの世から消えてしまえば、悩まずに済むだけ幸せなんじゃないかと思えてくる。
だからとことん眠って時間を溶かす。人生80年のうち少なくとも25年は眠るのだから、正味の人生は55年位。起きている55年を固定値として考えると、眠った分だけ長生きするような気もする。長生きがしたいって訳じゃないけど、眠っていれば人生はずっと幸福なんじゃないかと思ったりもする。
人はそれを現実逃避と言う。ちょっと屁理屈かもしれないけど、「じゃあ眠っている時間は現実ではないのですか」と嘯きたくもなる。ただそれも一理あるかもしれない。眠っている時に見るのは夢だし、それは脳内で繰り広げられるフィクション。夢を見ているという状態は現実でも、その光景や物語は現実ではない。
現実逃避があるのなら、夢逃避もある。自ら掲げた目標から目を逸らすのもそうだし、正夢のようなリアルな夢を否定するのもそうだ。これらを全て含めて現実とするのか、はたまた睡眠時に繰り広げられる世界を異世界体験とするのか。
異世界体験なんて大袈裟な言い方だから、夢は記憶の断片整理だろうとは思っている。つまり脳のデフラグ。話の辻褄が合わない夢は、デフラグ中に発生するバグだ。あまりに突拍子もないとデータファイル(過去の記憶)として成立しないけど、それでも夢は記憶として定着したりする。
ただ、そこに登場する記憶は、覚醒時の体験ばかりではない。明らかに未知の断片が入り込むことがある。全く見聞きしていない記憶が混じることがある。見知らぬ土地や見知らぬ人。そんな人達と、ただならぬ交流が繰り広げられたりする。
もっと具体的に言えば、見知らぬ人と結婚生活を送っていたり、媾っていたり、一緒に仕事をしていたりする。そしてこれは経験したことがある人も多いと思うけど、そう遠くない未来に現実になったりすることもある。それはデジャヴと言われるけど、この場合の既視感は、現実の記憶からのものではない。
「だからこれは異世界体験だ」と強引に結びつけるつもりはないんだけど、未来予知だって言うのも無理があるような気がする。人にはシックスセンスがあるから、虫の知らせなのかもしれないけど、未来が分かるなんておよそ現実的じゃない。
こういうのって、たぶん占いが根強く人気があることに関係しているのかなと思う。「占い師には未来が見える」という前提があれば、人は自身の少ない経験から、さもありなんと納得してしまう。そういう人もいるんじゃないかなと信じてしまう。
これはもう卑弥呼の時代からそうなので、それも含めて人の営みではある。事程左様に、人は見えない未来に不安を抱く。突き詰めれば、己がいつ死に直面するかという不安。日常的には、目の前の課題を上手く乗り切れるか否かという不安。今が楽しければ、それがずっと続くのか不安だし、そうじゃなければ、いつ抜け出せるのかという不安に駆られる。
実は現実社会って、そういう人間の不安を巧みに利用している。薬を売りたければ健康に関する不安を煽るし、ありもしない流行を作り上げて消費を煽ったりする。それも含めて経済活動ではあるけど、不安に駆られて振り回される人生は送りたくない。
ならばいっそ、不安を放棄してしまえばいい。言葉にすれば、「なるようになる」という感覚。とても無責任な言葉のようでいて、それが真理とも思える言葉。「運命に身を委ねる」と言ってもいい。運命だなんて、命を運任せになんか出来ないという捉え方もあるだろう。でも不安に振り回されるくらいなら、ケセラセラでいいんじゃないかな。
僕は相変わらず睡眠中に見る夢は異世界転生だと思ってるし、そこでの出来事は全てリセットできるから、覚醒時より幸福感を得られる。この先不慮の事故に遭わなければ、そのまま異世界に行ったっきりになるのが人生の終わりだと思っている。それってとても幸せな終末だと思う。
要は、眠ったらそのまま目覚めなくなったという状態。そうなれば脳の活動も終わるので、夢の続きは見られない。でもどうなんだろう。霊魂の存在を信じる人達にとっては、その先も続く。夢の続きがある。脳内で繰り広げられていた世界には実体がない。霊魂にも実体はない。少なくとも目視できない。確たる実体はないのだ。
考え過ぎなのかもしれない。覚醒時の出来事には実感がある。達成感だったり、失望感だったり、経験に確かな手応えがある。感情が動いて、喜びに溢れたり涙することもある。脳内劇場にそんな実感はあるのか。
ちょっとパラドックスっぽいけど、目覚めたら涙してたり、自分の声に驚いて目覚めたりすることがある。それは夢起因なので、実体のある体が動かなくとも、感情が動く確かな経験を夢がもたらしているとも言える。
今日も眠い。いつだって眠い。覚醒時の活動は生きる為に行なっている。欲求を満たす為に行なっている。食べなきゃ生きていけないし、生殖活動も行動の大きな要因だ。生殖活動を放棄することは出来ても、体を維持する為には食べなきゃいけない。
ネットは仮想現実だけど、現実とリンクしている。むしろユーザーはそれを求めている。自己完結する夢とは似て非なるもの。夢も現実であるならば、そこはやはり異世界なんだろうなと思う。そしてたぶん、そこに居続けることは憧れに近い。
現実の活動の為に、体を休める為に眠る。それが真っ当な生き方なんだろう。僕はその意味で、ずっとアウトローだ。眠っていていいのなら、いくらでも寝ていられる。それが叶わぬから、非現実的なものを求めて彷徨う。満たされることはないけど、どこかで実体を伴う異世界体験ができるかもしれないから。