先ほど書いたブログの内容から派生して、

要はバランスだよね。
気にしなすぎて失敗したり、
気にしすぎて失敗したり、
そんなのを繰り返しながら、
その人なりの「ちょうどいい」を作っていけたらいいね。

とか、

まさにその「ちょうどいい」が難しいよね。
人それぞれその基準も違うし、もちろんその指南書的なものもないし…

なんて話になりました。


そこで、
私には大きな気づきがあり、
きっとこの先変われそう、と思えた考え方がありました。

先ほどのブログにも書きましたが、
私は今まで、

周囲:自分または我が子

となった場合、極端な言い方をすると
100:0
になってでも周囲を優先する

という感覚が身についていました。

例えば、
たとえそれが子どもがやりたいことであっても、他の人がうるさいなと感じるのであれば是が非でもやめさせる。

とか、

たとえ自分の番であっても、次の人が並んで待っていたら、「次の人が待っているから、早く!」と声をかけて急かす。

とか。

文字にすると、悲しくなるようなことをしていました。

でも、
我が子も他の子も、みんなが幸せに過ごせる方法は、別にある気がします。


これからは、
他の人のためなら我が子は犠牲にしてもいい。

と思うのをやめます。

なぜ、私にこんな思いがあるのか、それは自分がそう育てられてきたから以外に理由がわからないのですが、それはやめたいです。

でないと、
自分を大切にすることに自信を持てない子になってしまうから。


自分を大切にすることは
他者を思いやれないことではありませんよね。
自分勝手、自己中心とは、違いますよね?


自分がよければ他人の気持ちはどうでもいい。
他人がよければ自分の気持ちはどうでもいい。

どちらもちがう。

自分のためなら他人は犠牲にしてもいい。
他人のためなら自分は犠牲にしてもいい。

どちらもちがう。

他人のためなら自分は犠牲にしてもいい。
を美徳としていた時代がありました。

滅私奉公

その考え方のまま、育て育てられ、また次の世代を育て…

だけど、
それは違った。

あなただって、私だって、そこにいる誰だって

みんな平等にたいせつ。

一人一人を大切に。
その一人一人の中に、
私も我が子も含まれている。

みんなが幸せにいられるように。

そこから考えると、
きっと今までとはちがう行動になるんじゃないかと思います。

今日から、
これから、
今から。