やはり家で静かに1人でいるのはマイナス。何が常にやってないとだめだ。家には奥さんのものがたくさんある、見ちゃう。


また今日は奥さんがずっと僕に伝えていた、頑張る、まだ生きる、諦めない、負けない、たくさんの言葉を思い出し1人泣いた。息子がいたら泣けないから、もう情けなく泣くのを見せてはだめだから。


妻を失った事でいくつかしっかりと学んだ事、頑張っても努力しても諦めなくてもその全てが無駄になり取り返しのつかないこともあるんだということだ。そして祈りや願い、神頼みは全くの無意味である。あるのは現実のみである。僕は残りの人生、もう二度と初詣や神社などに足を運ぶことはないだろう。


昔から嫌いだが僕はさらに綺麗事やその手の言葉がさらに嫌いになった。無駄な努力はある、無駄な頑張りもある、諦めずにいてもそれが無意味なこともある、それについては僕と息子は深く体験し、学んだ。そのような綺麗事を聞くとイラつくし虫唾が走り腹が立つ。世の中はそんなくだらない幻想でいっぱいだ。


でも運がある無いについてはあると思う。それをどう呼びおこすのか、引き寄せるのかは知らないけどそれぞれに運とかはあると思う。僕の場合、これまでは運があったかもしれないがそれはもう失われた、そして次々とろくなことが起こらない今、もはや僕に運は無い、多くの人が過ごしている当たり前の平和な日常も生活の形も無い。


この不幸の中、どう生きるか、どう立ち回るか。僕にはもう自分以外の事を心配する余裕もなければその気も無い。人の事を思ったところでそれは自分が不幸になるだけだ。まず何よりも自分を第一に思うべき。


そんな中まだまだ僕は彷徨ったいて前に進めていない。正直いつ死んでもいいと思っている、だってて毎日生きてても辛くしんどいから。でも自ら終わることはしない、出来の悪い息子とはいえまだ13歳、精神年齢は5歳とかレベル、こいつが生きている限りせめて18とかになるまでは僕が普通に生きていられる間はそれなりの義務は果たす。


そのためのモチベをずっと探し続けているわけだけど、それがまだ見つからない。息子自体がそれになってくれれば1番ベストだけどそれはフィクションの中の話で現実はそんなにうまくできていない。なので他のことを何か見つけなければいけない、それは自分には何なのか。習い事、リラクゼーション、娯楽、異性、性欲、なんなのか… 物欲が全然無い僕にはなかなか難しい探し物。僕が物欲の強い人だったらもっと簡単だったのにな。


感情を抑える薬を飲んでいても1人の空間にいるとこのグラグラだ、本当にまだまだ全然ムラがある。



生きるって本当に辛い、苦しい。

少なくてもそれだけはよくわかった、毎日それは感じている。生きてて辛い。