受験生の弟への手紙を通じて、受験を控えた中学3年生へのメッセージとして送っ た ものです。(一部改変)








(名前)へ。




 

こたつでみかんばっかり食べていませんか。公立高校の受験日まであと何日って数えている頃か な。でも、今日はちょっと違ったものを数えてほしくてメッセージを寄せました。



 ミルク飲んでたはずのおまえも、キャッチボールをするといつしか俺よりピッチングがうまく なり、5000日以上の日を生きてきました。その中で涙を流した回数は、何回ですか。



 嬉しい時、悲しい時、さみしい時、怒られた時、自分の思い通りにならなかった時、自分のし てしまったことを後悔した時。年齢とともに、含まれる感情も微妙に変化しながら、いろんな感情の結晶である涙をあなたは何回流してきたでしょう。

 あなたは絶対覚えていないだろうけど、お兄ちゃんは覚えています。あなたが初めて泣いた日 を。



 それは間違いなく、15年前の 月  日に、 産婦人科で聞いたものです。23千 人の命が、あなたと同じ日に日本で泣き声をあげました。でも、そんな嬉しい泣き声をあげても、その後二度と泣くことができなくなった赤ちゃんもたくさんい ます。そして、そもそも産まれて泣き声をあげることすらできず、お母さんのお腹の中で人工的に早い段階で消される命も、年間22万人いるんで す。この数字は、心臓を悪くして亡くなる人の数の合計よりも多いんだね。でもいまいちピンとこないでしょ。これがあなたの生きている日本の今の現実です。



 もしかしたら、そんな現実は知らなかったかもしれない。でも、中学校というmustな 期間を卒業したら、もはや「知らないことは恥ではなく、知らないことは罪だ」ということを、心に入れておいてください。共感できなくてもいい。納得できな くてもいい。でも、まず理解することが、これからを生きるあなたたちには必要なのです。その現実を理解するためのツールが、今の勉強だと思います。国語、 数学、英語なんてばらばらにされると見えてこないかもしれない。高校に入って、理系や文系なんて分け方をされた進路が無味乾燥に思えるかもしれない。ランク付けされた学校も、コンピュータが出す偏差値も、なるべく多くの人を納得させるための「コトバ」にしか過ぎないからです。でも、それらのツールを使いこなせないと、オリジナルの人生のスタートラインにすら立てない。今あなたが勉強しているのは、能動的な自分の人生のレールの引き方の方法なのです。



まわりの大人はずっとわめいていたかもしれない。幸せになるには、小学校受験でいい小学校に 入らな。将来いい大学に行くには中学校受験せんと話にならん。いい暮らししたかったらいい高校に入らんね。中学校に入ったら、高校に入ったら、全てが劇的 に180度自分の思い通りに変わるのか。響きのいい「確約の得られた現実」がありえないことに、さ すがにもうあなたも気づいていることでしょう。それでも、悲観的になってはいけない。だって、勉強すればするほど、たくさんの選択肢をもつことで自分を客 体化でき、日本あるいは世界での自分の立ち位置を正確に把握できるのだから。人生のピッチングでコントロールが狂う確率はもっと減るはずです。




あなたが、産まれて初めてあげた泣き声は、嬉し涙だった。少なくとも、お兄ちゃんたち家族は 嬉しくて涙を流しました。もしかしたらその時、あなたの小さな身体(からだ)は、空気をいきなり吸い込んで苦しくて、あるいはお母さんのお腹の中よりも寒 くて泣いていたのかもしれない。涙は人によって、時間によってその意味合いも変化します。あなたが模試のたびに流した涙の意味が、もし悔し涙だったとした ら。あるいは学校の帰り道、その日遅刻して内申点でびびって、担任の先生の顔を思い浮かべて流した涙の意味が、もし怒りの涙だったとしたら。その意味がいつの日か変わるかもしれない。その1つのターニングポイントとしての日付に、高校合格発表の1日が刻まれることを、15年前にあなたの誕生の泣き 声にもらい泣きした1人として願っています。


空回りの頑張りはいらない。ただただ粘れ。      


  


                                            2011年12月吉日  

                                                  兄  より

かなりひさびさにブログを更新 します。地震が起きて4カ月。「やっと日常を取り戻しつつある」なんて悠長なことはとてもじゃな いけどいえないんちゃうかと少なくとも僕の見た限りでは思います。パチンコ屋で「元気を出せ、日本!!」って書いてあるのをみる と、「当たり玉を出せ、このパチンコや!!それが日本を元気にするんちゃ うんかい」って思ったりしています。でも、死者が何千人とかって、人をモノとして扱う数字ですよね。子供を通して医療に関わる道を歩むことにした自分に とって、未来の命のふくらみを考えるとつらいとこはあります。ま、ここは「小児医療を通してみる教育モデル」というごっつい原稿を書かせられてんでいつか 機会あれば公開します。

よくなんで医者目指したんです か?なんて言われますが正直わかりません。強いていうなら僕のこれまで23年間の人生全ての結果だと思 います。ぐったりしている子供が一人いる、あるいは手術後意識の戻らないおっちゃんが一人いる。僕らが目の前に向き合う命は当たり前ですがひとつひとつに 重い想いがあります。お父さんによく顔の似たランドセルしょった女の子がお父さんなんでこんなんなん?とお母さんに聞いている。脳性麻痺の子供のおでこに ずっと手をあてて音声的には一方的に話しかける白髪のおばあちゃん。今夜も寝ずにつきあわされるな、あー連休予定ドタキャンなるやんってのはあるばって ん、いっちょ頑張りますか、って気になります。医者って一言で言ってもいろいろな人がいます。でも、あえて言うなら、個人的にはお金もちになりたい人は医 者以外にもっといっぱいいい職業あると思います。俺にとっての医療とは…前きかれて言ったのは、刺激好きなオレのガチなスイッチをオンにする現場だと今で も思っています。ま、この辺の医療の話はコアすぎるんで省きますね。

今日のテーマは「世の勢(セ イ)」について。地震後もすざましい勢いでいろんな世の中の流れは止まるとこないですよね。最初は自然の災害としての要素。それが原発絡んでエネルギー問 題からんで、政局絡んで、同じ福岡出身の大臣が失言で辞めさせられる。九州で…って言うとふざけんなってなる。批判するのが東北の農家のおばちゃんなら分 かるよ。でも、東京のリーマンが言うことじゃないですよね。小林秀雄さんって尊敬する人の男の二語ってのがあって「ご覧のとおりです」「ごもっともで す」。これがすべてなんですね。「なんで大臣やめるんですか?」って言われたら、まあこの二 語言っとけばよかったんじゃないですかね。馬鹿にしてるのはたぶん考えるのをやめた大衆という名の組織だったりするのは大いにあることです。たぶん世の中 の流れ的になんとなくベクトルが決まって、なんとなくうまい具合に流れているみたいだけど、ちょっと昔を振り返って、今の世の中が後に歴史になった時には たして後世の評価に耐えうるのかな、そんなことを考えたりもします。

スペースシャトルの最後の打ち 上げがあったと最近ニュースになっていましたね。仕事柄パイロットや宇宙飛行士の健康管理をチラ見してて思うのは、彼らのみてる次元が明らかに違うんです ね。南極の観測隊にも共通してるのかな、って思うんですが、みんな国境とか今の状況とか言ってられない。絶えず災害の真ん中で初めての刺激にさらされ続け ているようなものです。たとえば、ソユーズで地球に戻るとき、日本人宇宙飛行士の電波が途絶えて、救援にどこに向かえばいいのか中央アジアで位置を見失っ たことがあるらしいんですね。僕は直接観ていないんですが、現地の遊牧民が第1発見者だったって言ってまし た。どんな最新の科学的な装備をもって、ヘリで探しても分かんないけど、たまたま通りがかった人が宇宙飛行士を見つけた。「オー、お前誰だー」みたいな感 じだったって。南極でもブリザードとかある限りけっこうぎりぎりな状況だと思います。普段の生活がまじふつう、もっというとすんごい楽な生活をしている と、むしょうに刺激がほしいなんていう。それが最近の山ガールなんちゃらみたいな世でいうトレンドになるんですね。あるものとないものの間に若干の差異を 出すとトレンドとして成立してしまうんですね。趣味を「ちょびっとだけハードに」生きるのが最近のブームなんでしょう。僕もそうですが、登山や、今ならマ リンスポーツとかでちょっとだけ自分のハードルを上げたくなる。ただ、そのハードルのあげ方を間違うと、その連鎖反応で上げ続けて良くない方向になる。社 会全体としてそうならないために、定期的に自然はわれわれにがつんと本物を見せつけてきてるんでしょう。

で、少し話違うのかもしれんけ ど、そういったぎりぎりの状況になればなるほど、決断の場面が増えるのだと思います。よく僕が「行く?」「やる?」みたいな決断を迫ると、「明後日までに は言います」とか「えっと、お前やったらどっちがいいと思う?」みたいに言う人がけっこういるんですね。たぶんおれらって無意識のうちにもいっぱい決断の 分岐点乗り越えてきているでしょ。でも、少しハードルがあがったら「どっちにしようかな。」って迷い始めるんですよね。「結婚するかどうかホントに悩んで て…」っていう人に0.02秒後に「うん、しな」って言うと「軽っ、絶対考えてないっしょ」とか言わ れますが(笑)、まあ、決断1日伸ばしてそんなに決断の質あがるわけでもないし、人生の中でその1つがどうしてもどうしても取り返しのつかない決定的な決断なことなんてそう そうあるもんじゃ ない。「どっちがいい?」って聞かれたら「あ、ごめん、なかったことに」って即答するとぽかんとされるんですが、たぶんそれぐらいの決断のレベルの人とは 共通で何か進められる自信がもてないんですね。確固たる確信にさらに同調を求めたいだけの人は仕事しても新しい方向にはならないだろうし、本当に迷ってい る人といたらそもそも話が進まない。刺激的な状況が減って決断を鈍らせていると、とっさのときの本能的な判断が鈍って、それこそ致命的になると思ったりも するんです。「輸血するよ」、「オペするよ」って後に、副作用を説明されると「やっぱりちょっと…」みたいになる人もよくいるようです。もちろん自分がそ の身になればためらいます。でも、そういう本能を磨いておくのも実は日常の教育として大事なことだじゃないかと思うんですね。まあ、地球っていうかこう、 惑星の生態系みたいなものからみたら人間の1人なんてまあたいしたことない し、人類なんてそもそもout of 眼中なのかもしれない。だとし たら、そんな何十億の人間の1人の1回の決断なんて…って話です。

ただ、一方でその決断の連続で 目の前の現実が勢いとみえるものになって流れていっているのも事実。そのバランスをどう保つかが、将来の歴史の評価に耐えうるかにつながるのかもしれませ ん。高校生に話をする前にはいつも自分に問いかけます。その子供の将来にはたしてプラスになるか、って。医療も教育もそういう点では一緒なんですが、まだ 文系とか理系とか世の中的に言ってるから受験生ってかわいそうだな、と思います。ま、そういう僕も今年受験生なわけで、医学教育のこととかは次回にでも。 勢いについて勢いで書いたんでもしかしたらいつか勝手に編集しなおすかもです。ではでは。

 だいぶ更新頻度が落ちてきて、何と今年一発目の更新になります。
2011年もはやくも12分の1が過ぎた今日は、「正式」からオトナ学を考えます。「正式」の反対はなんでしょう。裏取引、未発表、内定…なんかが対義語かな。これらをまとめると、「現実世界」そのものです。正式なっていうと、日本人の多くは安心したりガチっとなったりするはず。それは日本人の「堅実な」国民性かもしれません。でも、現実はあらかじめ何かが決まっていたり、個別に契約をこっそり結んでいるけど、もう少し発表するの待ってろよ、みたいなことになっています。

 ついこの間高校生はセンター試験を受けたわけですが、日本が誇る正式なもののの数少ない貴重なものの1つだと思います。試験問題も1つ、答えも1つに定めて点数化しちゃう、残酷なものです。でも、現実を言語化しようとすると残酷なものになるっていうのを教えるための、国から高校生への試練なのかもしれません。今はAO入試や推薦入試などあり、医学部でも英語と数学さえできれば入れるとこもあります。また、入試時期をかぶせて大学をどちらかしか受験できないようにしたりと、「大人の現実の低年齢化」が進んでいる気がします。それが進んだ韓国のKARAの芸能問題はいずれ日本でも騒がれるでしょう。

 大人の現実ってなんなのでしょう。相撲の八百長疑惑や、政権よりのマスコミが伝えないツールを使って声をあげたエジプトなどアラブ諸国の現実。内定をもらってもなお不況の影におびえる同年代の大学生。

 でも、正式なもんも裏側のものも含めてすべてで1つの現実なんですね。それに気づけたエジプト国民は、情報統制がいまだ続く国より、よっぽど幸せかもしれません。国家をムバラクが率いて良かった部分もあれば、悪い部分もある。日本でもこの人が総理でよかったって部分もあれば、悪い部分もある。当然のことです。でも、日本国民は総理官邸に石を投げつけたりはしません。それは、法律というコトバに締め付けられた理性が強い日本人が多いからかもしれません。現代の戦争は国家vs国家ではもちろんないのですが、vsテロ組織なんかでもありません。コトバという大きな枠組みの中での情報vs二値化の戦いといえるでしょう。

 大相撲も、力士さんガチでやってんな、と思って国技館でみてれば、誰にもなんの害もない。そこにあるのは勝ち負けだけです。でも、お金でやりとりしてるんじゃねーかメールという、情報が絡んでくるととやっかいです。日本人特有の理性がはたらいてきます。今年から相撲総見が一般に公開されたので、昨年の暮れに国技館に向かいました。確かに係員の対応は悪くて相撲協会側の不手際があったのも事実です。でも、そこにお相撲さんがいれば、子供がおじいちゃんにおんぶされて観にくる。これが事実です。

 八百長問題というか、勝敗をお金で買うのは、入試で裏口入学をするのと同様よくない、と僕は思います。それは、一部の人だけが持っているもの個性のいい部分を利用して、勝手にベクトルをずらして勝負をつけているからです。相撲なら先に倒れたら負け、入試なら点取りゲーム多くとれた方の勝ちに決めているのに、お金という別のもので勝敗の行方のベクトルを変えているからです。極端な話、かっこいいから土俵上がった瞬間こっちの力士の勝ち、その学校についてより好き具合が強い人が入学といったように、他にもなるべく多くの選択肢が用意されていて、あらかじめ情報をオープンにして、この勝負は最初っからこっちが勝つようになっています、ってアナウンスをするぐらいであればどうぞやってくださいって話です。情報を後出しにして、知らないところで次元を変えた土俵に持っていくのは卑怯、これが日本国民の理性の思うところです。この戦法をやっていいのは、日本の国としての外交ぐらいで、政府はむしろ小沢さん問題で野次りあっていないで現実外交をやるべきです。

 いろいろな範囲に話がぶれましたが、高校生の中にはもうすぐ大学生になる人もいるかもしれません。大人に向かうと何が変わるのか、ってよく聞かれます。それは今の時代、情報量ではないはずです。裏と正式の境目を判断する自分のemotionの変化だと思います。いろいろコトバで判断して、それらすべて納得はしなくても、現実だと理解する、せざるを得ない機会が増えるでしょう。それが視野を広くということかもしれません。今回はこのあたりで。ペタしてね