⑧爺ちゃんの言葉 | 潜在意識のナビゲーター ビリーブス田中 

⑧爺ちゃんの言葉

つい先ほど、「体験ホームレス」から、居候のまさやんが帰ってきました。

多少、酸っぱい臭いはしていましたが、思ったよりもキレイな格好でした。

彼曰く、最近のホームレスは清潔で、
「段ボールの上を歩くときは、足と手を洗ってからにしてくれ!」
と言われて衝撃を受けたそうです。

彼は、行く時にはシケモクを持って出たのですが、帰ってきたときには新品のタバコを持って帰ってきました。

タバコはJTで試供品を只で配ってくれるのを貰って吸っているとのこと。

以下は、彼の言葉です。

*****************************************************************

この日本で食い物で困ることはないすね。

なんか、失敗が怖くなくなった…というか、『失敗なんてないんだ!』
『ただ、経験があるだけなんだ』ということが分かりました。


二日目の夜、公園でベンチで寝ながら本を読んでたんすよ。

そしたら、81歳のお爺さんが話しかけてくれたんです。

「飯食ったのか?」

「まだ、食べてません」

そしたら、サンドイッチとパンを分けてくれたんすね。

その爺ちゃんが話してくれたんすよ。

.。.:*・゚☆.。.:*・゚☆.。.:*・゚☆.。.:*.。.:*・゚☆.。.:*・゚☆.。.:.。.:*・゚☆.。.:*・゚

「わしは、16歳で徴兵され、特攻部隊に行くはずだったんじゃ。

ところが、その前日に戦争が終わってな、

何もないところから、物を創り出し、家族をつくり、子供たちを食わしていく為に、ただ我武者羅に生きてきたんじゃ。

それに比べると、今の世の中を見た時に、ちょっと可愛そうに感じる。

今は、物は溢れているけど、会社に雇用され、家族と一緒に過ごす時間もない。

物が有り余ってるから、当たり前の基準が上がり、家族のつながり、周りとのつながりとか…見落としていることがいっぱいあるんじゃないかな。

だから、『自分が何をしたいのかわからない…』なんて言ってウツになったり、病気になったりしている余裕がある。

わしらの時代は、そんな余裕もなかった。
ただ我武者羅に生きてただけや。

それでも、家族と幸せに暮らしていた。

わしは、北海道の炭鉱で働いていたんじゃ。だから体は丈夫。

同窓会に行くと、死んじゃった奴もいるけど、生きている連中は、みんな体は丈夫で元気いっぱいじゃ。


娘がな、『北海道で、老夫婦だけで暮らしているのは心配だから、一緒に暮らそう』って言ってくれてな、それで東京に出てきたんじゃ」


.。.:*・゚☆.。.:*・゚☆.。.:*・゚☆.。.:*.。.:*・゚☆.。.:*・゚☆.。.:.。.:*・゚☆.。.:*・゚.。

僕は、確かにその通りだな…と思ったんすよ。

昔は食うために働いていた。

今の自分たちは、『食う為』と口では言っても、実際ホームレスになっても食うには困らない。

僕も、夢中になってやったことはあったものの、本当に我武者羅になったことってないんすよ。


だから、自分がいかに恵まれたぬるい環境にいて甘えていたかがわかりました。

だから、これからは『とにかくやる!』って決めたんすけど、

でもそれも、今は正直は言いたくない!

口だけになりたくないから。


『全てのどんな出来事も経験になる。

何年か先に、この経験が笑って話せる思い出になる』

ということが、もうわかる。


天野さんのことも、一人で0からやり遂げてきた人だから、本当に凄いな!

と思いますね。本当の凄さがわかりました。


『人生は経験する為にある!』


頭の中では、分かっていたんですよ。

でも、本当は分かってなかったんですよね。

なんとなく、『そうだよね』と云うことは誰でもできる。

しかし、行動しなければ本当には理解できない。


…なんて偉そうなこと言ってますが、まだ私自身も全然経験が足りない。

でも、『経験しなければわからない』ということが分かりました。

*****************************************************************

1週間の体験ホームレスの課題を終えて、いい気づきを得たようだ。

話す言葉が、どこかで頭に詰め込んできた他人の言葉でなく、彼のハートから出ている彼自身の言葉になっているのが感じられた。


以上で、「ホームレス物語」第一部を完結します。

もう少し詳しいエピソードは、第二部として、彼自身が日記にUPすると思います。

その時は、リンクさせますので、お楽しみに!

長文にお付き合い頂き、ありがとうございました。