⑤朝からステーキ | 潜在意識のナビゲーター ビリーブス田中 

⑤朝からステーキ

翌朝、「ご飯だよ!」という声で目が覚めた。

「えっ? ご飯?  なにそれ?」

びっくりして飛び起きると、見慣れないホームレス仲間が5~6人集まっていた。
「今日は松坂牛のステーキだよ!」

「えっ? 松坂牛のステーキ?」

見慣れないホームレスの一人が肉の入ったパックを5~6枚重ねて持っていた。

そして、サラリーマンが早足で通勤していくのをしり目に、朝から私のあげたフライパンとガスコンロでジュージュー、ステーキを焼きだした。

「美味い! なんて贅沢なんだ!」

私は、何が何だかわからないまま、ステーキを頬張った。

「ど、どこで、手に入れたんですか?」

「そんなの肉屋のゴミ箱に行けば、賞味期限切れのが転がってるのさ。
肉っていうのは、腐る手前が一番美味いんだよな」

そして、言うことがしゃれている。

「いいかい、食いきれなくって余ったからって、もったいないから取っておこうなんて考えちゃダメだよ! 
そんなんで腹を壊したら何にもならない!俺たち体が資本なんだから! 
それに欲しい時は、いつだってあるんだから!」

なんというカルチャーショック!


私はこの時、「彼らは農耕民族ではなく、狩猟民族なのだ」と悟った。

「どこのコンビニは何時になったら、弁当が捨てられる」

「どこの肉屋では、いつ頃いけば肉にありつける」

「あすこの酒屋のビール瓶から集めれば、ビールが飲める」


そして、正確にその時間に行かないと、他のホームレスに先を越されてしまう。

など、熟知しているのだ。



私はその時、以前読んだネットワーク地球村の高木善之さんの本の一節を思いだした。
正確には覚えていないが、確かこんな感じだったと思う。

それは、アマゾンの原住民を、先進国の研究者たちが訪れた時のエピソードだ。

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ある研究者がアマゾンの原住民に質問した。

「あなた達は狩りをして生活しているんですよね。

もし、狩りをして獲物が獲れなかったらどうするんですか?」

「食べない!」

「じゃあ、翌日も獲れなかったらどうするんですか?」

「食べない!」

「じゃあ、その翌日も獲れなかったらどうするんですか?」

「食べない!」

「じゃあ、そのまた翌日も獲れなかったらどうするんですか?」

「食べない!」

「それじゃあ大変でしょ! なんで農耕をしないんですか?」

すると、原住民は研究者に向かって、何をバカな質問をしているのか…という様子で答えた。

「あなた達が、『獲物が獲れなかったらどうする?』と聞くから『食べない』と答えただけだ。
でも、獲物が4日も5日も獲れないなんてことはない!アマゾンは豊かなんだから。
動物たちの中には、私たちの食べられる為に逃げ遅れたり、仕留められたりするものがいる。
その獲物に感謝していただく。
食べきれないほど、余分に獲ることもない。
獲物がない日は、「今日はそういう日だ」ということで食べないだけだ。

こうして、アマゾンの原住民であれ、アメリカ・インディアンであれ、先住民族と呼ばれる人たちは、みんな狩猟民俗であり、つい最近まで、何万年も同じ生活を送ってきた。
つまり「永続可能な社会」だ。

これに対して、先進国(農耕民族)は、便利快適を追求し、自分たちばかりが食べきれないほどのものを所有し、子孫に残す分まで使い切ってしまっている。
つまり「永続不可能な社会」だ。

「永続可能な社会」と「永続不可能な社会」では、本当に文明として発達しているといえるのは、どちらだといえるのか?

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確か、こんな感じの内容だったと思う。

ホームレスの人たちを見ていて、「所有しない」ということで、実は「全てを所有している」…もしかしたら、私たちよりも、もっともっと豊かな生活を送っているのかもしれない。
そんな風に感じられたエピソードだった。

                      <つづく>