いま、企業のコンサルティングの仕事と並行して、2つの新しい取り組みをはじめている
その一つが、徳島県神山町に高専をつくる取り組み(もう一つは、またどこかで紹介します)
これまで色々な場面で教育に携わってきて感じていたことを形にしたいという思いでプロジェクトに参加した
そんなこんなで、これまでいくつかの学校に視察に行ったり、本を読んだりして、学校や教育のことを考えている
今読んでいるのが、『世界一素敵な学校~サドベリー・バレー物語~』
この本の序文にあった文章で、色々なことを考えている
文章の一部を紹介する
『子供たちはリアルな人間として、まだ小さなうちから扱われていました。責任をとれる年齢になれば、責任を持たされた。(中略)つまり何かができると分かったとき、子どもたちはコミュニティーの実働メンバーになったわけです。それはたとえば、こういうことです。6歳の男の子が羊の群れを連れて野原に出かけたとします。狼が来て、一匹の羊を食べてしまいました。そんなとき、大人たちは「いいよ、気にしなくても。君はまだ小さな子供なんだからとは言わなかった」。その代わりに、こう言ったはずです。「どうしてそうなったんだ?いいか、もう二度と、こんなことが起きないように、経験から学ばなくちゃいけないよ」と。』
そして、そのあとの一文にはこう書いてあります
『こういうやり方でなぜうまくいっていたのか?それは、子どもたちの内なる自然が大人の仕事をしたがっていたからです。彼・彼女らは大人になりたがっていた。大人として成長した人間として扱われたかったのです』
ドラッカーは、うまく教えることよりもうまく学ばせることの方が重要だと言っていた
経験から学ばせる
責任を感じさせる
その根底には、あれができるようになりたいという強い意志がある
その意志に影響を与えている大人が身近にいる
大学や企業でこれらの要素を持ち合わせている組織は人が育っているように思う
同じように、子どもたちが育っていく環境でもそう
一方で、最近の若い人には、やる気を感じないと言いながらチャレンジや失敗をさせない風土を持つ組織もある
(自分たちはいっぱい失敗させてもらえたのに・・・)
子どものためにと、靴紐も結ばせないお父さん、お母さんもいる
それが成長や失敗の機会、成功体験の機会を奪っていることもある
成長を願っているが、それには気づいていない
また、学ぶ人があこがれる存在に大人がなれていない状況もよく見る
俺たちの時代は・・・と言いながら
だれも、「俺たちのようになりたいとは思っていない」という状況・・・
ありがたいことに、高専をつくる神山町には、本当に素敵な大人がたくさんいる
ありがたいことに、高専をつくる(ことで新しい明日を創ろう!)という志に集まってくる人たちは、本当に面白い人ばかり
始まったばかりだけど、楽しみでしょうがない
いろんな形で、発信していくので、皆さんのお知恵も貸してください!