父の誕生日は
12月20日。
お祝いできないけど
父が生まれた日だから
大切な日。
母は
3月31日。
父は
10月31日に
逝ったから
「馬鹿なアタシが
忘れないよに
31日なんだね…」と
母が…
母は
馬鹿ではない。
継母に
高校に
行かせてもらえず
子守りばかり
させられただけ。
そして
奉公?に出され
継母にもらえなかった
愛情をもらい
様々な
繋がりを得て
多くの人達に
愛されてきた。
「アタシは
馬鹿だから」と言うと
「女は馬鹿なぐらいが
いいんだ!」と
父は言っていた。
女性蔑視ではない。
くぅには
「男になんか
絶対負けるな」と
言い続けてたから
母への
父なりの
慰め方だったのだろう。
母は
働き者で
家に居るのが
嫌いだったから
いつも
外で働いていた。
仕事場で
嫌な思いをし
涙ぐむ母に
「女なんだから
嫌な思いしてまで
働く必要はないんだ!」と
一喝したのも
自分が
働いてるんだから
楽しく働けるとこで
働けという意味で
父は決して
「食わせてやってる」と
いう言葉は
口にしなかった。
男が働いて
家族を養うのは
当たり前。
だから
好きで働いたお金は
自分の通帳に
貯めろと
言っていた。
「もしもの時は
○○○の○○隊に
すぐに連絡するんだぞ?
遺族年金が
もらえるからな」と
昔から
言っていたから
遺言があるとしたら
それだけ。
母が困らないように。
ありがとうも
手を握ることもなく
父は
逝ってしまったけど
「まったくねえ?
ありがとうなさえ
言わないで
死んじゃうんだから」と
母は笑う。
「でもね…
若いうちに
亡くなったり
突然
死んじゃったり
されたら
悲しかったよね?」
そうだよね?
1年近い入院も
両足切断も
父母共に
辛かったし
苦しかったし
でも
毎日通った母には
悔いの涙はない。
鰻が食べたいと
言えば
極上の鰻を買っても
ほんのわずかしか
口にせず
柿が食べたいと
柿のない時期に
母は
ひたすら柿を
探し歩き
やっと柿が
出回るようになり
持って行くと
柿は冷えるから
いらないと言う。
ひとつ
千円近い
小さなグラタンを
買っても
僅かしか食べず
高い焼売を
潰せば食べられるか
味見して
固いからダメだねと
言うと
「俺には
食わせたくないのか!」
翌日
柔らかくふかして
潰して
冷めないよに
急いで持って行くと
「いらない」と。
母が遅いと
看護師さん達には
遅いのを心配し
母が来たとたん
「何やってんだっ!!」と
怒鳴る。
そんな父のもとへ
1年
ほとんど休まず
通った母に
悔いなど
あるはずかない。
後悔しないよう
哀し涙を
流し続けぬよう
父らしい
生き方
逝き方だった。
四十九日が
済んでも
父の死から
離れられないのは
くぅには
後悔しか
ないからなのか?
後悔しないと
決めても
すぐグズグズ
してしまう。
いつも
膝の上に乗せられ
頬をスリスリ…
ヒゲソリの
暫く後のスリスリは
痛くて痛くて…
でも
我慢して
スリスリされてた
小さなくぅは
あなたの
思い出の中に
いたかな?
学校のスキーで
ふと気配に気づくと
笑顔の父が
手を振りながら
滑ってる。
わざわざ休みを取り
こっそり
スキーまで
ついて来たあなたの
大切な大切な
娘だったくぅは
大切なまんま
なのかな?
なんでも1番であれと
総代になっても
当たり前な顔で
外で
そこら中に
自慢してた
あなたから
くぅは
期待を奪い
失望を与えて
あなたには
必要ない
人間になったようで
だから
くぅが行く前に
逝ってしまったのかと…
あなたの娘でよかった
ありがとて
言わせたく
なかったのかと…
やめよっ!
止まらなくなる。
今はまだ
背負いきれない…
いいお葬式だったの
いい四十九日だったの
みんな
言うけど…
何がいいのか
わからないまんま…
人の死に
いいも悪いも
あるんだろうか?
あ
たったひとつ
父の大嫌いな雨が
絶対
降らなかったね?
いいとしたら
雨が降らなかった
ことかな…
いったり来たり。
グルグルグルグル
同じとこ
回り続けてる…
いったり来たり
繰り返し
グルグル回り続け…
いつ
止まるんだろ?