別に自分がすごいとかどうとか言うわけではないのだが、最近、自分が頭の中でもやもやと考えている中心的な話をブログにでも書いてみようかなあとうだうだと考えていると、同じような内容をほぼ日刊イトイ新聞の糸井さんに書かれてしまう。もちろん彼のほうが数段素敵に、的確に「そうそうそうそう!」という感じで書いてくれてしまうので私にはもはや書くことがないのである。

 一度でいい、ほんの十分でいいからイトイさんに会って話をしてみたいから、一度、誠実にほぼ日にメールを送ってみて、それでもだめだったら直接行ってお願いしてみようかなあ。一緒に飲みに行って色んな他愛のない話なんか出来たら最高なんだけどなあ。少なくとも「君と話して僕に何の得がある?」とは言われないんじゃないかなあ。

以下引用


・「わたしはこういう人間だ」と言い切ると、
 おそらく、めんどくさいことが減るんだと思います。
 たとえば、「あの人は言いだしたらきかない」
 と周囲に覚えさせたら、遠慮してもらえたりしてね、
 強引な意見を押し通したりもできますしね。
 
 「おれがウイスキーといえば、ストレートだろう!」
 なんちゃってね、威張ってればいいし。
 ま、いろんなことが簡単になるとは思いますよ。
 
 そんなにわがままな例ばかりじゃなくてもね、
 「わたしは誠実な人間だ」とか、
 「わたしは母性にあふれた人間だ」とか、
 「わたしは人を裏切らない人間だ」とか。
 いい人ですよ、という言い切りもあるわけです。
 
 でも、これ、果たしてね、ほんとなのか?
 なにがあっても「そうありたい」というふうに、
 願望として語られるぶんには、いいと思うのですが、
 「わたしはこういう人間だ」っていうのは、
 疑わしいという気がするんですよねー。
 
 でも「わたしはこういう人間だ」って言いたがる人って、
 じぶんを疑わないことが多いから、
 ぼくなんかが「疑わしい」なんて言ったら、
 怒りだすかもしれませんね。

・じぶんのことで、確かだと言い切れることって、
 例えば、食べものの好き嫌いとかですよね?
 頭で考えてなおせるものじゃないですしね。
 でもね、これだって怪しいものなんです。

 ぼくは、最近になってチーズが好きになりました。
 これまでは、あんまり好きでもなかったのにねー。
 理由なんか説明できないんです。
 「おれってチーズを好まない人間だ」なんて
 公言していたら、うそつきになっちゃいましたよね。
 ついでに、言っておきますけどさ、
 かつてぼくは『私は嘘が嫌いだ』という本を出したけど、
 そのなかみは、嘘ばーっかしだったんですぅ。

今日も「ほぼ日」に来てくれて、ありがとうございます。
「ほぼ日ストア」の巡業予定も決まりはじめましたーっ。