あなたの「人格」以上は売れない!―国際線チーフパーサーが教える好かれる人の「心配り」/黒木 安馬
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 融通無碍(ゆうずうむげ)とは、状況の変化に応じて柔軟に即応すること。
人生で、さまざまな転機を迎えた時に即座に対応できるかどうかで、その人の将来が大きく変わる。
ここで一人の女性企業家を紹介しよう。
 高橋泉さん、1961年生まれ。彼女のこれまで歩んで来た道がすさまじい。
 母の知り合いの紹介で、ある男性と結婚を前提にした付き合いを始めた。
その彼と、わずか3ヵ月目でデキちゃった結婚をする。やがて男女の双子を産む。
当時27歳。泉さんは、これはすぐに働き始めよという神様のお告げだと、なぜか産後のベッドで感じたとか。
双子だと子育てがまとまって早く終わるからである。

間もなくして子供の体調が思わしくない時に、
結婚いらい指一本触れようともせず、家にもろくに帰ってこない夫に連絡を取ろうとした。
ようやく夫をつかまえた時には、別の女性の家にいて、そこにはなんと生まれたての赤ん坊がいた。
信じられない事態に、二人の乳飲み子を抱えて目の前が真っ暗になる。
他に女がいたのに、なぜこの人は私と結婚したのか。
男にはそんな身勝手、気ままなことが許されるのか! 

 クラーク博士の“Boys be ambitious!(少年よ大志を抱け)”の言葉に、
どうして女は大志を抱いていけないのか?と小さいころから疑問に思ったというほどの

負けん気の強い泉さんは、
夫に「私のことは、もうええんやから、その人と今すぐに結婚してあげなさい!」と言い切り、
一人でさっさと離婚手続きをしてしまう。
後にその別の女に生ませた赤ん坊は施設に入れられたそうである。
腕の良い大工だった泉さんの祖父は、高圧電線に引っかかった日の丸旗を取ろうとして感電し、
両手を失って家庭は貧困に陥る。
その娘は福岡県田川から兵庫県三田市の叔母の家へ養女に出される。
勉強も良くできた娘は地元で旅館や冠婚葬祭を営む男性と結婚し、やがて泉さんが生まれる。
 ところが、その父親はバクチ好きの遊び人、薬物中毒になり大暴れをして隣近所にも迷惑をかけ、
街の大変な厄介者になっていく。
泉さんは学校にも行けないほど、どん底生活で羞恥心も青春もすべて消え失せたという。
そんな環境の中で、母親が営む仏具・人形店を手伝い、お客さんの喜ぶ笑顔を見ながら、
商売の面白さや人間関係を身につけて成長していった。

 転機は離婚直後にやってくる。
折よく、立地条件の良い100坪の土地が抽選で売りに出ていて、三六倍の難関をクリアして当選したのだ。
母親からの代がわりで、そろそろ自分で大きめの店にして本格的に事業を始めたいと
漠然と目論んでいた矢先だった。
ドンと背中を押された。
双子を産んだ時のお告げにも似た新世界が、いま目の前に広がろうとしていた。
立ち直りの早い泉さんは、一人ですぐさま行動に出る。
やり繰りして、そこに自宅を、同時に別の場所に美容サロンの新しい会社を設立。
そうやって地道ながらなんとか仕事を続けようとしている矢先に、地底から突き上げるような阪神大震災に遭遇する。
 倒壊家屋の山、遺体収容所にあてがわれた体育館で、大勢の人たちの死骸の山、線香の煙る凄惨な光景に
うずもれながら、泉さんの意識が大きく変る。
こんな自分のことだけを考える仕事をしているだけの人生で良いのだろうか? 
人は必ずいつかは誰もが死んでいく。あの人も、この子たちも。
何かをしなければ・・・。私がやらなければいけないものは、私が出来ることは何なのか、泉さんは考え抜いた。

その頃の状況を、高橋さんの会社案内に、写真アルバム部門の責任者である梅田福夫さんは、こう書いている。
 阪神大震災の1995年に『LA・VIE FACTORY』は神戸で生まれた。
それまで神戸の片田舎で結婚式の企画に携わっていた私は、なんて結婚式の写真はつまらなくて高価なもの
なんだろうと常々思っていた。そのころの写真は幸せの瞬間を切り取ってはいなかったのだ。
写真館はお決まりのポーズを何カットも撮り、大きなアルバムに編集していたものが主流であった。
皆がお決まりの写真しか提供されなかった時代である。日本の結婚写真は世界に遅れを取っていた。
そんな時、偶然にも今のデザイン・アルバムに海外で出会った。今までに無い写真集のような仕上がりとデザイン性に
私は一目ぼれした。すぐに写真館に売り込みに行ったが一様に答えはNO。閉鎖的な世界であったのです。
三ヶ月当たり過ぎたころ私は決心した。自分で撮影してお客さまに喜んでもらおう! 私には自信があった。
カップルが求めている写真が日本には無かったからである。早速、初めて手にした一眼レフカメラで私は素人ながら
精一杯のパーフォーマンスで撮影に挑んだ。私は本当の感動とドキュメントをテーマに、その日のカップルを精一杯
フィルムに落とし込んだ。300枚、400枚、500枚。今までの結婚式では考えられない枚数を撮影したのです。
その中からたった30枚を編集した最初のアルバム。お客さまには本当に喜んでいただいた。
日本で初めてのラヴィ・デザイン・アルバムの誕生でした。綺麗な写真ではなく、ハートのある写真。
カメラマンとカップルの共同作品です。だからこそ一組一組まったく違ったアルバムができるのです・・・。
式の準備中の様子などカップルを追いかけて、すべてをドキュメンタリー風に撮影するデザイン写真集。
当初は直立不動の型物主流だった写真業界では異端児扱いされるが、その数年後にはホノルル、
ロサンジェルスなどの海外を含め、全国に支店網を張り巡らせて業界シェアのトップに躍り出ることになる。

神戸の瓦礫の中からの決意。
人間の力はどんな絶望の渕からでも立ち上がれるのだ、希望を失わずに挑戦すれば
道は必ず開ける、夢と希望の会社を作ろう! 金儲けをしたいと言う思いだけでは山を乗り越えることはできない。
“より多くの人のお役に立つ会社を築く”、“経済を通じて誠実の輪を広げ、世界の平和に貢献していく”と、
無私の社会的使命を決意する。

KSG(Keep on Serving Guest=人に尽くし続ける企業)と言う壮大な目標を掲げる社名に変身させる。
結婚式場もご祝儀とは言え、納得しがたい馬鹿高い費用が一般的。
新郎新婦の貸衣装代でも、ほんの数時間レンタルするだけなのに数十万円もする異常さ。
そこで、式も衣装代や着付けに写真もすべて込みで四万八千円の常識を超えた超破格値、
思い切って格安で使える自前の式場を建設。
神戸から発信して、東京青山やお台場、札幌から福岡まで広がる『小さな結婚式』の誕生である。
年間5千組以上が式を挙げるようになる。
何もかもが世の中には納得しがたい価格の私利私欲の会社が多い、庶民感覚からほど遠いのはどうして?と、
世の中を新鮮な眼で見渡す日々が始まる。お客さまに喜んでもらうためには、タブーなどはあり得ない。
お客さまの視点で考えると、業界の伝統がサービス改善の障壁になっているものが圧倒的に多いのに気づく。
結婚式までの総合プロデュース、未経験の不安な二人に丁寧に水先案内をする『ブライダル・カフェ』も作る。
神戸にある結婚式場の『六甲サンパレス』には、それぞれインテリアの雰囲気がまるで違う披露宴用のパーティルームが4ホールもあり、どれも目を見張る洗練された調度品で迎えてくれるようになっている。
目移りするほどの素敵な一つ一つの椅子やテーブル、照明器具、建築材料など総て高橋さんが海外に出かけて吟味してきたものばかりと言う。業者に頼りっぱなしで価格も言いなりにならないで、自分の目で判断したいと言う


泉さんの素直さがそこに垣間見える。格安で一流品がオーダーで入手できる経験から、他の人たちにも喜んで
もらおうと、実はその家具などは総て見本の展示会場にもなるわけである。
そこに泉さんの右腕である西尾達広さんを中心に輸入販売部門の『L・BRAIN』も誕生させることになる。
 高級邸宅街の高台に洋風の大きな一戸建て住宅がある。どう見ても立派な一般家屋にしか見えないが、
実はそこは斎場なのである。遺族の通夜宿泊施設は高級ホテルの部屋と同じで、風呂も全面ガラス張りの
洗練された瀟洒な別荘風である。待合室の雰囲気も、一流ホテルの清潔なロビーである。
線香が漂う物悲しい暗さなど微塵も無い。私が訪問した、その友引の日だけでも、一日に八組の葬式と七組の
通夜が行われると言う。聞いて驚いたが、葬儀の費用総額はわずか50万円。
結婚式みたいに前もって準備できない突然の出来事だけに、業者の言いなり高額価格には納得ができなかったと

泉さんは言う。 彼女はさらに新しい事業に突き進んだ。
「それまで独占だったNTT電報は、活字のみを字数制限で送るだけでも3~5千円以上もしていました。
なぜこんなに高いのかと疑問でしたね。そこで郵政民営化を機に自分の写真や手書きイラスト、
直筆署名入りも可能にして、498文字でも料金953円と超納得価格に設定して電報事業に参入したのです。
郵政法で1000円以下にしてはいけないという馬鹿げた法律があるから、税込みで1001円にするしかなかったの
ですが、ハワイにも配達できるようにし、縫いぐるみや生花・植木鉢の電報まで用意しています」
 日々、アイデア・ウーマンに変貌していく。業界の古いしきたりや規制に果敢に挑み、既存の常識に対する、
新時代・反常識からの挑戦である。そして2007年はついに年商102億円、社員450人の会社にまで成長し、
当面の目標は数年内に300億円企業にしたいとか。
八年も続けている恵まれない子供たちへの年間1000万円寄付を、ぜひとも近い将来には三億円にはしたいと
夢を膨らませる。

 泉さんが語る。
「私は社訓のトップにこう書いています。『社会に貢献することを最大の目的とする』と。
なぜ、会社の規模を大きくしようとするのか? それは規模が大きくなれば売り上げも伸び、
より多くの働く人たちの生活を担うことができます。今までとは比較にならないぐらい多くの人たちと関わり、
より多くの人たちのお役に立つことができます。『人格向上』イコール『人のお役に立つ人間になろう』を真剣に
考えるならば、会社の規模を拡大していかなければならないと考えます。
『収入を見るな、努力を見よ。努力が偉大だ』、収入自体を評価するのではなく、
その収入を得るための本人の過程と努力を高く評価するべきだと思います。
一流の収入がある人は、一流の努力と苦労ができる人。
その努力の成果として得た汗の結晶、貴重な報酬や利益こそは、より有意義に使いたいものです。
そして、まずは恵まれない子供たちへ還元することが私の使命だと常に思っています」

 希望を生み出すという意味で命名された“泉”さんは家族に希望を託している。
「母と生きていくのに精いっぱい戦ってきました。過去の辛い記憶もすべて美しく変えてしまうのは人の常、
父や夫のせいで辛かったという思いはまったくありません。過去にこだわるより、むしろあの頃にもう一度帰ってみたい、
そんな懐かしい気さえします。人生のどこかで辛酸をなめていると、それをプラスにするかマイナスにするかの法則が
身について、いつかは必ず成功するものですね。自分の人生は自分の思い通りに作って行くものと思って
生きて来ました。自分の心を磨き、宇宙を受け入れる器を築いていくことが一番楽しいことだと思っています!」
「ママ、再婚するん?」 フランス留学する出発前、一八歳になった双子の子供たちが真顔で聞いてきた。
出張先から帰宅したばかりの玄関先で、泉さんは突然の言葉に驚いた。
離婚したことは、子供たちが幼少の頃から知らせていなかったのだ。
「一切、あらへん!」。泉さんは、いつ聞かれてもいいように、常にその日のために準備していたかのように、
すぐにそう言い切った。
「さっきお婆ちゃんから初めて聞いたんやけど、それで安心したわあ」双子のヒカルとアイの安堵した顔がそこにあった。

 神戸から大阪へ向かう高速道路を運転しながら、泉さんが私に言う。
「このメーターって、ガソリンがもう無いということやねえ?」 
のぞいて見ると燃料計がゼロを示して警告灯が点滅している! 
「心配するほどのことは、現実には起こらないものやわ、大丈夫やねん!」
 強靭でかたくなな経営者像の姿はどこにも見えない泉さん。
ネアカで、それでいて、ハッとするほどのお嬢さんみたいな美人。
泉さんはキムタクの名前すら知らないくらい今日も前を向いて働き続けている。
夢は叶えるためにある!

  強いから、賢いから生き残れるのではない。
  環境の変化に適応できるかどうかで決まる ── ダーウィン・進化論