とうとう開き直ったオカン。① ~毒親なんでしょうよ!~
我が母、自身が毒親だったと開き直ったよ~構成としては・締め出し・暴力、暴言・ネグレクト(?)・今でも引きずる精神的苦痛ってところかな今回は締め出しで。>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>わたしが小学校高学年のころ両親が別居し始めて半年くらいしたら離婚した。お父さんが有責で。わたしたち兄弟はお母さんについて行った。わたしたち兄弟は怒られるとよく外に締め出されてた。時間なんて夜中だって関係ない。田舎だから別に誰に見られるでもなく外でうるさくしない限りは放置だった。それぞれ部活や学校から帰ってきても玄関が施錠されてるとか(鍵の隠し場所に鍵が無い)夕方家の中にいても仕事から帰ってきたお母さんに外に出されるとか。ちなみに季節なんて関係ない。夏はよかった。外に水道があったから飲み水に困ることはない。日は長いからどこかに遊びにって家で閉め出される時間をなんとなく短くできる。問題は冬。 雪がそんなに降る地域じゃないけど冬だから寒い。それでも関係なく外には出される。遊びに出かけてもすぐに暗くなるから帰ってくるのも早い。外での時間が長く感じる。上着もなしに部屋着のまま外に出される時もある。そうなったらせめて風は凌ぎたい。庭の端にある小屋の中でよく兄弟で縮こまってた。縮こまって寝てたり、ささくれをいじったり…各々何かしていた…最高記録は確か夕方から夜中の2時前だったかな。そろそろ時間やばくない?(時間知らんけど)ってなって玄関を引いてみるといつの間にか鍵が開いていてお家に入ったな~。お母さん普通に寝てたけど。高校生になるころには行けるところとが多くなったのと、バイトのお陰でお金の自由が増えて遅い時間まで帰らず遊びまわってお母さんが寝たころに弟にこっそり家に入れてもらってた。兄弟間で家に入れてあげるのは持ちつ持たれつだった。余談ですが、帰る前に家に電話してわたし「yes か noで答えてね。お母さん怒ってる?」弟「うん」っていうやり取りをよくやってたWWW 返事によって帰る時間を決めてました。ああ、兄弟みんなで閉め出される時もあれば単体な時ももちろんありました。単体の時は最悪。風呂、ごはん、布団なしの生活です。いや正確にはありましたよ。でも堂々とは出来ない。こっそりあるものを食べたり、冷たくなったお風呂に入ったり。玄関で寝たり。いろいろバレればグチグチ言われました。泥棒とか、お前には水がもったいないとか、邪魔!とか。まあ受け流してましたが。でも心はなかったことにはできなかったみたい。〇ね!とか 産まなきゃよかったとか 引き取らなきゃよかったとかドラマでありそうな言葉は大体浴びてきたと思います。まあ、今ではそんな出来事も反面教師として受け止めるよう努めてます。わたしもだらしなくて怒られてたわけですから。いやでも怒り方ってあるよね!?って話で。でもお母さんに言わせれば、当時は余裕がなかったんだとか。だから仕方なかったんだとか。わたしはこうならないと誓った瞬間でした。でも人間て不思議ですよね。”ありがとう”と”ごめんなさい”は子供に教えるのに怒り方と褒め方は教えないんです。教わってないのはわたしだけ??「自分がされて嫌だったことは自分の子供にはやらない。 やってもらってうれしかったことをしてあげる」これが私の子育てのモットーです。そんでもってこれで世の中はある程度平和だと思うんだけど、どう?まあ、お母さんにはいろいろされてきたけどいろいろしてもらってきたから親子の域を半分超えて”依存”なんだろうな。皆さんの親子関係はどんなもんで??