「常陸の湯」・・・ そもそも、平安時代に源義家が前九年の役に向かう途中、現在の常磐道の水戸インター付近「加倉井」の地を通過した折、兵たちの飲み水を探したそうです。
そして、藪の中から竹を二本切り取って矢を作り、水の出そうなところに矢を放つと清水が湧き出たという伝説が残ります。現在もこの泉の湧き出る地に「常陸の湯」があります。(混浴です!!)
のちの鎌倉時代には、【日蓮上人】が身延山から、病気療養のため、身延山を降り向かう先が
この「常陸の湯」だといわれています。
残念なことに、旅の途中、聖人は東京都大田区にある池上氏館(現在の池上本門寺)で六十一歳の生涯を閉じました。
日蓮宗の本山のある身延山久遠寺は南部氏(波木井)の領内ということもあり、、南部氏一族の
加倉井氏の領内にある≪常陸の湯≫を療養先としたのでしょう。
加倉井城跡に現在、日蓮宗【妙徳寺】があります。
徳川家康の側室「お万の方」は日蓮宗の深い信仰者女性であり、女人禁制の「日蓮宗の守護神「七面大明神」を祭る」「七面山に女性として最初に参詣しました。
十男頼宣(紀州徳川家)、十一男頼房(水戸徳川家)をみ生み。承応二年(一六五三)に没し、
池上本門寺に葬られました。
水戸徳川家もまた、日蓮宗とも縁が深く、徳川光圀は生母の久昌院の菩提を弔うために、
現在の常陸太田市の「久昌寺」を建立しました。
母、久昌院もやはり法華信徒であったため日蓮宗の寺院としたと伝えられています。


