少し前に「ありのまま~♪」みたいな歌が流行った時があった。
それと、カイロを絡めた投稿が各所で散見された。
ありのまま=自然=カイロプラクティック
きっとその様な方程式が彼らの中には成り立っているのだろう。
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「自然」についての見解は前回書いた。
あれ以上の概念は僕は思い浮かばないし、
皆様の大部分も納得できるような考えだと思う(きっと)。
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結論から言うと、
ありのままではカイロプラクティックは成り立たない。
と僕は考える。
なぜなら、
ありのままに生まれ
ありのままに生き
ありのままに食べ
ありのままに眠る。
ありのままに年を重ね
ありのままに不具合も出現し、
ありのままに死を受け入れ
または受け入れず逆らい(逆らう事もまたありのままの行為)
そしてありのままに死んでいく。
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「ありのままの生活」
そのままでいいよ。
ただ「受容」するのみ。
すると心が穏やかに健やかに生活が送れる。
小悟、
悟りの芽生えの瞬間だ。
平穏に日々暮らす為の、ココロ的/宗教的潤滑剤として
この「ありのまま」と言う概念は僕は非常にアリだと思うし、
僕もその様に暮らしたい。
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が、
この
「ありのままに生まれ、ありのままに死ぬ」と言う概念の、
どこにカイロプラクティックが入る隙間があるというのだ?
カイロは余計な横槍以外の何者でもないとは思わないか?
思った事はないのか?(ないだろうなぁ)
・・・
おっと、
よくある「より」ありのままになれます!
は無しだ。
ありのままと言う言葉に、以上も以下も存在しないぜ。
だから「ありのまま」なんだ。
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この
「ありのままとカイロプラクティック問題」は
「ADIO-OIBU問題」の派生として
ストレートカイロプラクターは慎重に扱わなければいけない議題
…の筈なのだが、何も考えない/流行に乗る/ストは、
その言葉の輝きに目がくらんでしまい
まんまとミキサーの網に引っかかってしまうのである。
カイロプラチック
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