善は、生きることだろう。
美は、瞬間のことだろう。
真は、生死の超越にあると思う。
では、虚は?
虚は、それら真善美を繋ぐだろう。人間は、虚をもって、生きながら真を求め、過ぎ去りながら美を造る。何といえばいいか、虚とは、在を不在と言い、不在を在と言い得る力のこと、だ。
たとえば生は、死と対峙せず、生まれなかったこと、と対峙する。虚とは、この対峙させる能力のことである。
生きている限り、時は過ぎ去っているのだが、あるどこかの一点にすがってしまえる。虚とは、たとえばその力のことだ。
生死を超越した真を、知ることはできまい。しかし、生きてそれを追い求めている。その信じる力というべきものは、やはり、虚、であろう。
生きなければ真善美のすべてがない。だが、生きていないことを考えられなければ、真善美のすべては見つけられなかった、とも思える。といって、すべてが虚である、とは思わない。そうではなくて、虚がすべてを繋いでいる、と言いたい。
だから、嘘をついてもいい、という話にはならないのだけれども、その嘘も、なにものかを自分の生に繋ぐ働きのひとつではあるかもしれないのだ。