ない、周囲の者がその刑戮
けいりく
をあえてさせたのだと言うものも出て来た。
千余人の同勢と言われた水戸浪士も、途中で戦死するもの、負傷するもの、沿道で死亡するものを出して、敦賀まで到着するころには八百二十三人だけしか生き残らなかった。そのうちの三百五十三名が前後五日にわたって敦賀郡松原村の刑場で斬
き
られた。耕雲斎ら四人の首級は首桶
くびおけ
に納められ、塩詰めとされたが、その他のものは三間
げん
四方の五つの土穴の中へ投げ込まれた。残る二百五十名は遠島を申し付けられ、百八十名の雑兵歩人らと、数名の婦人と、十五名の少年とが無構
むかまい
追放となった。
ある日、半蔵は本陣の店座敷から西側の廊下を通って、家のものの集まっている仲の間へ行って見た。継母のおまんはお民を相手にjapancupid糸などを巻きながら、日光大法会のうわさをしたり、水戸浪士のうわさをしたりしている。おまんは糸巻きを手にしている。お民は山梔色
くちなしいろ
の染め糸を両手に掛けている。おまんがすこしずつ繰るたびに、その染め糸の束
たば
はお民の両手を回って、順にほどけて行った。廂
ひさし
の深い障子の間からさし込む日光はその黄な染め糸の色を明るく見せている。
「お母
っか
さんもお聞きでしたか。」と半蔵は言った。「いよいよ耕雲斎たちの首級
くび
も江戸から水戸へ回されたそうですね。あの城下町を引き回されたそうですね。」
おまんはお民の手にからまる染め糸をほぐしほぐし、「どうも
