日本人の13人に1人は性的マイノリティだという研究も発表されました。
つまり教室に1人は必ずいてもおかしくない存在です。
教育の現場でも教室でどう伝えていくのか、模索が始まっているようです。
東京弁護士会が開いた性的マイノリティに関する教育についての公開勉強会では講師となった埼玉大学准教授の渡辺大輔さんは参加者にこう問いかけました。
「トラック運転手のパートナーが、休日ぐらいしか家事・育児を手伝ってくれず困っています。こんな保育士からの相談に、どんなアドバイスをしますか?」
この質問を聞いて、トラック運転手が男性、保育士が女性であると想像したとしたら、それは「ジェンダーバイアス」だと渡辺さんは指摘する。「性に関する固定観念や偏見」を意味する言葉だ。
渡辺さんは学校で性的マイノリティについて教える際、
「LGBTや同性愛をテーマにするのではなく、『性の多様性』について考える内容にしてほしい」と強調します。
「黒板に大きく『同性愛』『性同一性障害』などと書かれると、当事者が不安になります。多数派が少数派について語るのではなく、みんなで性の多様性を語る必要があります」
性の多様性とは何か。
心の性別(性自認)を「男性・女性・それ以外」の3つ。
体の性別を「男性型・女性型」の2つ。
性的指向を「男性・女性・両方・なし」の4つに、
ざっくり分けると、それだけで24に分類できてしまう。
「女性だけが恋愛対象の男性」と「男性だけが恋愛対象の女性」は、
そのうちのたった2つでしかない。
しかし、学校生活は、性別といえば男と女だけ、
恋愛といえば男女交際だけという、
固定観念と偏見に満ちている。
渡辺さんは次のような例をあげた。男女別のトイレ、
更衣室、制服、健康診断、持ち物の色、名簿、生徒手帳、
席順、保健体育、生徒指導、家庭科、道徳の教科書。
例えば、ある中学校の道徳教育用の教科書には
「好きな異性がいるのは自然なこと」と書いてある。
勉強会の参加者たちは「恋愛対象が異性とは限らない」
「好きな異性でなく、好きな相手と書けばいいのでは」
などと議論しました。
渡辺さんが中学校や高校で、多様性についての授業をすると、
生徒たちから「オカマ」「ホモ」「オネエ」といった
、当事者を揶揄するような発言が必ず出てくるそうだ。
もし教師がこうした発言をスルーすると、生徒は
「注意されなかったので、言ってもいいのだ」と考える。
「だから、必ず拾いあげて、対応してほしい」
そう訴える渡辺さんは、ある裁判の判決を紹介した。
レズビアン・ゲイのグループが公共施設への宿泊を断られた
「府中青年の家事件」。
東京高裁は1997年の判決で次のように書いている。
「同性愛者の権利、利益を十分に擁護することが要請されている」
「無関心であったり知識がないということは
公権力の行使に当たる者として許されない」
渡辺さんは最後にこう訴えた。
「もう無関心はダメ。学校教育全体を通じて、
人権教育を進めてもらいたい」
国際社会から見るとまだまだ遅れているとしか言い様がない
日本の教育面。しかしこのような議論が始まったのは
歴史的第一歩といってもいいだろう。
これからもしっかりとした理解と知識が広がるように
なっていってほしいものです。
