lgbt-lさんのブログ

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わたしが初恋をしたのはいつ。

初恋の対象は男の子でないといけないと言うのならば、好きな男の子は幼稚園から居た。
ロッカーが近いので好きだった。
あまり人気がないジジイ臭いところも。

後に誕生日占いの本で見たら、彼は運命の人らしかった。

彼とは、小学校から中学校卒業まで交互に学級委員長と副委員長を務めた。幼稚園からずうっとクラスが一緒だったのだ。

小学校の時にあっさり他のジジイ臭い男の子を見つけて乗り換えてしまったのだが、なにかしら縁のようなものは感じる。

どんな風にジジイ臭いかと言うと。
つまり落ち着いているのだ。
他の男の子に比べて、とても。
彼は頭の良いしゃべり方だった。


初恋を女の子を対象にして良いと言うなら、やはり幼稚園の先生だろう。
白い肌、黒くて長い髪に、大きな瞳。
いつも優しく、時に叱ってくれて、歌もピアノもうまい。
それでいて嫌味がないなんて。
しかも、胸が大きい。

聖母マリアのような人だった。

(幼い頃の記憶なので、美化しているのかもしれないけれど)


先生の乳房を吸ったら、どんな感じだろう。
そんなことを考えたりしていた。



幼稚園に入ったころから、私は家が近い女の子と遊ぶようになった。

目がとても印象的で、甘え上手。
嘘ばかりついていて、わがままだけど可愛い女の子だった。

よくお互いに電話をかけては
「せーの!で切ろうね?」
と言ったのになかなか切ることができず、笑い合ったりしていた。

ファーストキスはその女の子だった。

夕暮れ、バイバイするのが寂しくて、私はキスがしたいとせがんだからだ。

何度目かの別れ際のキスをしようとしたときに、「もうキスしない」と言われてしまうまで、それは続いた。

帰り道は、さびしかった。

小学校高学年ともなると、みんなの話題は恋の話しや、性の話しが大半だった。
私は特定の気に入った男の子は居たけれど
「別に誰でも好きになれるな」
と思っていた。
みんな良いところばかりあるように見えていた。

しかし、人一倍胸の発達が早かった私は、学年の男の子のおかずにされていたんだと、大学を卒業してから男友達から聞いた。
なるほど、みんな私に優しいはずだった。

痴漢や変質者、同世代の男の子からのからかい。
私は徐々に女であることが嫌になっていた。
とてもデリケートな時期だった。

わたしの中にある一番古い記憶とは何だろう。
思い出せない…。

幼稚園に初めて登校した日は?
それなら薄く淡く思い出せる。
急かされて、祖母に手を引かれて
歩いて家を3軒跨いだらそこが幼稚園のバス停。

幼稚園バスの送迎が魅力で、ここの地域の子供はほぼ全員が隣町の私立幼稚園に入れられる。

地域によって、ルートによって、バスには色の名前が付いていた。
私はふじいろバスだった。
よく、乗るバスを間違えた。

すべての行動が、遅く、確実性に欠ける私は当時からいつも叱られていた。

幼稚園に初めて行った感想は
いよいよ社会に放り出されてしまったな、という感じ。

私はよくバスに酔った。
そんなときバスの運転手のいかついおやじは、
「とお~くの山を見てろ」
と言った。

家からどんどん離れて
景色が目まぐるしく変わるなか
山だけはそこにどっしりとしていて動かなかった。

私は収容されてどこかに連れて行かれるわけではないのだ。


それでも時折
やれ気持ちが悪い、やれ腹が痛いと言っては幼稚園を休んだ。

園の行事で休日に遠足があったが、私は腹痛を訴えた末、母親が欠席の電話をした。
どこに行くのか知らなかったし、母親が家に居るのになぜ私だけ幼稚園に行かなくてはいけないのだ。

昼過ぎに、“幼稚園に行けば動物園に行けた”と知った私は、少なからず休んだことを後悔した。

夜に担任のともこ先生から自宅に電話が来た。
私におみやげを買ってきたということだった。

私は動物園の動物を連れてきたことを期待した。

しかし
ともこ先生が買ってきたのは
ビーズが入っていてチリチリと音がするくまの飾りがついた、鉛筆だった。

それでも私は幼稚園から始まり大学に至るまで、休みに休みまくり、いつも出席日数が足りなかった。

これはどうしようもない私の癖だ。

幼稚園から、授業もサボりがちで、よく抜け出したりもしていた。
畑や田んぼに行ったり、使われて居ない体育館や物置小屋に行ったり、遊具の巨大なタイヤの中にひっそりと隠れて1人で過ごす。

そんな時間を確保していた。

仮病を使って保健室にも行っていた。
幼稚園の保健室は二段ベッドだった。
私は2階が好きだったが、いかにもつらそうにはしご階段を昇るのに工夫した。

単独行動ばかり取る私は先生に嫌われて居たと思う。
胸が大きくて美人な先生だったけれども、怒った顔しか思い出せない。
中でも女の子のおなかにパンチをした時の先生の怒った顔が一番怖かった。

まさかあんなに痛がるとは思っていなかった。
もうおなかにパンチはしないようにしよう、と決めた。
こんなに反省しているのに、そんなに怒るなんて。
私はグレた。私が悪いのは私が一番わかっていた。

先生が怒っているから私は木に登って空を見ていた。
長い間、木に登って居て
迎えに来たのは先生だった。

先生は私を嫌いではないのかも知れなかった。

先生に私を嫌いか聞いたら、好きだと答えた。

しばらく経って
先生は結婚して幼稚園を辞めた。

私を好きだと言ったのに、先生は本当は旦那さんが好きだったのだ。
おなかにパンチをしない方が好きなんだろうな、と私は思ったけれど。
それでも。

代わりに胸が小さくて美人ではない先生が来た。

こんなに悲しかった記憶は初めてだった。