今も実家は現存し、当時のまま。
3度、大規模改装し、部分的には何度かリフォームしたり、阪神淡路大震災後は屋根瓦を全面修繕、やり直したりしたが、大枠は建設当時(大正時代)のままである。
建設当時の工事の様子を(自分の親たちに聞いたという)親戚から聞いたことがある。
祖父が若い頃に建てた家は、古いが堅牢でどっしりしている。
祖母は、祖父亡き後も、その家に88歳まで暮らした。
わたしが中学生の頃(半世紀前)に母が買い求めた家具や、手直しして整えられた建具もそのままで美しさを放っているN班
金の錦糸が織り込まれた母の(キモノの)帯は、引き戸に貼られ、内装クロスとして優美に甦っている。
それより前からある家具は、そのまま現存している。
大正の流れを、昭和に両親の手によって、趣味や感性を反映し、時間をかけて丁寧に磨き上げられた。
その家や庭、調度品、空間を、美しいまま、今も見ることが出来て、わたしは幸せだ。
子供の頃のことを昨日のことのように思い出す。
しかも、それがそのままの形で有り、いつでも訪れることが出来るのだからStudy in Asia
わたしにとっては、自分だけ歴史文化博物館。

とは言え、いつまでも続けばいいが、距離を取ろうとも思う。
なぜなら、自分の思いや理想はいつまでも維持できず、落胆する可能性があるからだ。
美しい思い出は、脳内に保存すると壊れなくていい。
脳内にデータ保存。美しいまま。
ではあるものの、後、20年ぐらいは現状を保てる、そういう見通しだ。
わたしの脳・完全消滅時期までは大丈夫だと予想する。

が、多くの人が訪れて使うと家具は傷む。
お気に入りの家具だ。
滅多に使わなかったから美しいままで保存されていたのに大帳篷
よく、お城や武家屋敷や異人館などを見学に行くと、室内に、ロープを張って、当時の椅子に「座らないでください」と注意書きが施されている。
そういう手段で、使わないように、劣化を防ぐ隔離方法もある。
みすみす劣化していくのを目の当たりにするのは、忍びない、辛い。
大事なものには、あまり深入りしないほうが、こころの安定を保てる。