ピンチに陥った時、
みんな必ず神様に祈るはず。
願うはず。
頼るはず。
叶った時は、
物凄く大きな力に感じると思う。
叶わなかった時は、
所詮迷信や気休め程度にしか感じないと思う。
それはそれできっと『正しい感覚』なんだ。
不利なことを何でも神様にお願いして、
それがことごとく叶ったら、
それはそれは素晴らしくてパラダイスなんだと思うけど。
でもそれって、
自分が『成し遂げたこと』じゃないんだよね。
神様が成し遂げたことなんだよね。
自分は只、お願い(依頼)しただけ。
動いていない。
だから、
そうして叶ったことは『神様の望み』なんだと思う。
神様が動いて実現した望みなんだよ。
自分の願いは自分で叶えるから意味も価値も有るんだと思う。
自分以外が叶えたものは、叶えた人のものなんだと思う。
だから、
叶えるためには動かなきゃ。
何処まで出来るかわからなくてもとにかく挑まなきゃ。
自分自身が頑張って、もがいて、悩んで、苛立って、
どんなに壁に阻まれても挑み続ければ、
その分に見合った力を神様は与えてくれる。
実際の神様の力なんて、
ほんの僅かなものなんだ。
人一人の頑張りに比べれば、余程小さいちっぽけなものなんだ。
だって、
神様の世界では『努力』なんてものは存在しないから。
向上する必要がないから進化もしないんだもの。
存在自体がパーフェクトだからパワーアップしないんだもの。
欲も不満も不完全も、変化がない存在だから。
そんな神様の力でも、
有ると無いとでは大きく違う。
あとほんの少しだけ足りない時、
そんな時にこそ神様に必死に願う。
自分がその目的に対してほぼほぼ頑張れていたのなら、
多分神様の力が加わることで叶うと思う。
頑張りが足りなかったなら、
神様の力が加わっても叶わないと思う。
ただ、
それだけのこと。
神様は、
願った人には等しく力を与えている。
ただ、
その力を足しても尚不足していたのなら、
叶わない、ということ。
頑張りが足りなかったのか、
限界まで挑んだ結果がそこまでだったのか、
それは人それぞれ、自分自身が一番理解しているはず。
信心が足りない訳でも願い方が間違っていた訳でもなく、
ゴールまでの力の総力が足りなかっただけのこと。
その結果に対して、
『努力が足りなかった』と思うか、
『これが今の全力』と思うか、
それは自分自身が考えること。
周りがどうこう分かるものじゃない。
神様の力なんて、そんなもの。
でも、
そんなものでも、
有ると無いとでは大きく違うはず。
だからこその『神頼み』なんだと思う。
だからこその『努力』なんだと思う。