文章の書き出しはとても苦手です。

 

書きたいことはある程度、頭の中で纏まっていて、誰に読んでもらおうと書いてるわけでもなく、何か目的があるわけでもないのにこの書き始めるところだけは毎回悩みます。

 

 

 


私は元々プライドが高い見栄っ張りな人間

 

この性格だからなのかは分からないが、車いす生活の中で周りの人間に助けを求めたり、同情されるのは非常に辛い。恥ずかしい。他人の視線がとても怖い。

だから誰にも心の内面は見せたくないし極力見せない。

 

 

少しずつ世間から離れ一人きりになっていく私に、母は人生を諦めないでほしいと何度も声をかけてくれましたが、私は全てから逃げるように自分の殻に閉じこもってしまった。

 

車いす生活になってから数年経ちましたが何故私が引きこもって他者との関りを避けてしまうようになったのか、大き理由はプライドや見栄、障害を持ちながら障害に対する偏見、全てから逃げ出す卑屈さ、それらにあると思う。

 

 

 

ここ数か月のうちに色々と心情の変化があり、社会復帰に向けて色々と行動してきました。

主な理由は母のため。

母も年金をもらう年になり、数か月前に父を亡くし、その時に酷くふさぎ込んでしまった母の姿を見た時にひどく動揺した。

私は親不孝者です、小さなころから母に迷惑をかけっぱなしで、成人しても家族を顧みることなく自身の気持ちを優先し、やりたいことだけをやり、母の気持ちを散々に踏みつけにし何度悲しませた事か。

 

そんな私でも、気丈な母があれ程に落ち込んだ姿を見た時に、母の為に自分が何かしてあげたいと心の底から思いました。

私は何をするにも遅いし何かに気が付くのも遅すぎるのです。そして今の自分には何もない、そんな姿の母に何もしてあげる事の出来ない私は自分のことを酷く恥ずかしく、なんとも情けないと実感させられた。

 

 

 

 

もう一度社会に復帰し、本当の意味で自分自身で生きていける環境を作り少しでも母を安心させたいなと再び歩き出したこの半年。

 

しかし中々に難しい、何をするにもいろいろと違うし、働ける環境や通勤方法、体調面での不安など。

 

一番厳しかったのが、他者との関り。

 

私が今までで一番避けていた事、逃げて放棄した事、相手は車いすに乗った自分をどう見ているのか、福祉にかかわる人間ならまだしも、一般の方はどうしても視線が車いすにいってしまう、これに馴れるのが本当に辛い。何よりもつらい。

なのでいきなり一般就労するよりも、いったん福祉関係の方がいる事業所で自分の環境を整えようと思い、相談支援や市の福祉課の方達に相談しました。

 

30代無職独身、何も持たないが異常な見栄やプライドは持つ私、母の為、そして自分の為にその最後のプライドを捨て0からやり直したい。

 

目標は来年中に一般就労、生活保護から抜けたい。

人生の中で働きたくないと思う場面は多々数え切れず、しかし皮肉にも今は働きたい、心の底から普通に働きたい。

 

 

しかし私の心は一瞬の視線で崩壊する、取り乱したり喚いたりとはならないが、外見的には分からずとも精神的な意味で折れて疲れてしまう、どんだけナイーブなヤツだと笑われるかもしれないが、こればかりは自分でもコントロール出来ない。

 

 

 

 

 

さてここで、幼稚園の頃からの友人関係を捨て、見ず知らずの人間に対してもこのように怯えている私がもしも昔の自分を知っている人間にあってしまった場合どうなるのだろうか?

 

 

 

 

答えはすぐわかりました。

 

 

 

恥を忍ばせながらも事業所に通いだした数日目、穏やかに自分のペースで少しずつ変わっていく環境、福祉職員の方や同じ作業所で汗を共にする方など本当に心穏やかにゆっくりと自分の進む方向に歩めていると、このまま頑張っていずれ自分の目指す目標に辿り着けるのでは?と少し自信を持ち始めていました。

 

 

傲慢な私は完全に慢心していたのです、家から出たらいずれ来るその恐怖の瞬間を、今まで自分を殺し古い友人関係すら捨ててまで逃げたいと思っていたその時を。

 

帰りの送迎を待つタイミングで「○○君だよね?」と肩越しに声をかけられた瞬間にすべてが真っ白になり、完全にフリーズしてしまいました。

 

私が一番恐れていた言葉、何よりも逃げ出したいと思う瞬間。

 

そこからの事はあまり記憶にはないが、全身に広がる悪寒と噴きだすような冷や汗の不快感、何事も無いようにと精一杯の仮面を付け軽く挨拶をしながら相手がこの事業所で事務員をしている事など聞き、昔より痩せて見違えたなどと軽口を二言三言会話して笑顔で車に乗り込んだ。

 

 

普段通り車窓を眺めながら、軽く世間話を笑いながらこなし、私の鉄の仮面は周囲の人に気付かれる事無く帰路に付いたと思われた。

 

しかし相乗りの数人が家に辿り付き、最後に残った私はこのまま無事に能面のまま帰宅できると少し落ち着いていたが、

津波のように穏やかにひきながらも猛烈な波となり徐々に溢れ出す感情のうねりはいつしか涙となり、それすらも抑えられずいつしか嗚咽へと変わってしまった。

 

送迎の所員さんも私の唐突な感情の決壊に驚き話しかけていたようだが、その時は自分の感情のコントロールは効かず、何を言われたかは覚えていない。

 

少し落ち着いてからこんな地獄のような空気を作り出したことを申し訳なくなったのと、これ以上自身の内面をさらけ出さない為に、相手が福祉に携わる方なので私の心情を察して無遠慮に詮索しないでくれるだろうと思い自身の今までの感情をほんの少しだけ伝え理解してもらった。

 

私はやはり傲慢で怠慢だ、自身の感情すら隠し切れないくせに誰にも気にしてほしくないのだから。

 

 

ここまでが最近あったことです、書き始めはまだまだ情緒がぶっ壊れていましたがなんだか書いてるうちに楽になりますね。ストレス発散に丁度良いです

 

簡単にまとめると無職のおっさんが再起しようとしたら小石に躓いて泣いたって話です。

 

母が元気なうちになんとかせねば