昨日11日、うち越さくら さんがこの夏に予定されている参議院選挙に新潟選挙区から立候補すると記者会見があった。訴える政策の一番が「原発ゼロを目指し再稼働はしない」と言い切った。ご本人は人権問題を専門とする弁護士であり、これまで東京での活動が中心であったが、この機会に新潟に骨を埋める覚悟で立候補を宣言したのである。これは新潟を活動のフィールドとするいうことであり歓迎したい。

今後は、国会議員として格差や貧困の是正を実現し、人権を守りかつ原発ゼロを目指すことに取り組むことは、いま私たち市民がもっとも願う政策であると思う。既存の党派を超えて、ここに多くの人が集結すれば必ずや選挙の勝利が見えるものと確信する。

そこで老婆心ながら国会議員として国政を担われるにあたって小生が望む考えを、たまたま雑誌「世界」(6月号)の寺島実郎氏「脳力レッスン特別編」平成の晩鐘が耳に残るうちに〜体験的総括と冷静なる希望、の論稿に述べられている内容を借りて、打越さんの活動指針とされることを希望したい。少し長くなるが引用する。

 

== 次の扉を開く希望〜問われる主体的な構想力 ==

歴史において、「成功体験」は固定観念となって次の時代を縛り、失敗への導線となることが多い。戦前の日本では、日清日露の戦勝体験が、軍国日本への傾斜と軍部の専横の導線となり、世界認識を誤り、昭和軍閥を制御できないまま不幸な戦争に至り、敗戦を迎えた。戦後日本は、日米同盟に守られて、「軽武装・経済国家」として冷戦期を生き延び、復興成長という形で工業生産力モデルの成功体験を味わったものの、平成の30年においてはそれが反転し、制約になったと言える。世界の構造変化と日米関係の位相の変化によって、戦後昭和の成功モデルが機能不全に陥っているにもかかわらず、固定観念にしがみついている構図は、本稿で論じてきた。「日本を取り戻す」などという後ろ向きで貧困な視界からは未来は拓けない。

日本の未来を切り開く希望は何か。確実に言えるのは、戦後日本の総体を再考し、それを未来の糧としていくしかない、ということである。最も大切なことは、戦後民主主義を根付かせることである。世界の中での日本の埋没、中国の強大化と強権化という現実を前にして、民主主義の煩わしさに苛立ち、国権主義・国家主義への誘惑に駆られがちとなる。反知性主義的な言動を「率直な本音」と感じ、ポピュリズム(大衆迎合主義的な言動・大衆扇動主義)に拍手を送り、民主主義を冷笑する風潮に引き込まれがちとなる。

だが、戦争という悲惨な代償を払って手に入れた民主主義の価値を見失ってはならない。自分の運命を自分で決められること、国民一人一人が思考力、判断力を持って自分が生きる社会の進路を決められることこそ、戦後なる日本の宝である。特に平成という時代を暗黙の裡に制約してきた「米国への過剰同調」がもたらす不幸な結末を見抜き、主体的に未来を選択できるのかがこれからの日本人の課題となるであろう。そのための「知の再武装」がカギになるのだが、私は日本人の賢明さを信じたい。

もう一つの未来への希望につながるキーワードは、アジアである。十数年後、日本を除くアジアのGDPは2018年の倍になっていると予想され(年平均実質6.5%成長として)貿易・観光などあらゆる意味で、日本はアジア・ダイナミズムを吸収して活力を保つ柔らかい知恵が不可欠となる。「反中国、嫌韓国」のレベルでのナショナリズムではますます閉塞感に埋没するだけである。21世紀を展望した世界史的構想力が必要であり、成熟した民主国家であり技術を持った先進国としての日本を輝かせる政策構想が練磨されねばならない。信頼と敬愛を得られる日本を創ることが重要である。(以下略)

今年の桜の花は長持ちした。うち越さくら さんが満開と咲きほこる日が待ち遠しい。