今、目の前の自分の部屋に、
花がない
とします。
だけど、
お花屋さんに行けばたくさんの花がある。
外には自然の中にたくさんの花がある。
目の前に花がなくても、
『花』
って様々な種類で存在しているじゃないですか?
その時、花屋さんや外の花を浮かべて、
花はある
と思いますか?それとも目の前の状況を見て、
花はない
と思いますか?
この問いかけの時点で、
花
ってどんなものか浮かびますよね?
だからね、既にあなたの中に、花はあるんです。
目の前になくても、(花は)既にある。
存在そのものを知らなかったら、
脳内に浮かびもしないんです。
多分、既にあるって、自分の中で既にもう認識しているモノゴトのはずです。
すでに存在している花屋さんの花だったり外に咲いている花を想像するとわかりやすいかもしれません。
それらを認識しているから、
『花』という存在は既にありますよね?
だから、
今、目の前になくても『花』という存在は認識できている。
しかもたくさんの種類で存在してる。
『花』が自分の中で存在して認識しているから、
『花』が『欲しい』という願望が湧く。
願望が湧いた時点で、『花』は既にあるんです。
願望=既にある。
目の前に花がなくても、
既に『花』という存在を知っているから
『花が欲しい』
という願望が湧く。
つまり、『花』という存在を知らなければ、
願望すら湧かないんですよ。
で、お花が欲しいなと思ったら、
自分で買いに行くかもしれないし、
誰かからいただくかもしれない。
バラかもしれないし、
カーネーションかもしれない。
『花』という存在を知っているわけだから、
早かれ遅かれ目の前にお花がやってくる。
『花はある』という意識(というか、意識の向き)があるから、目の前に花が現れる。
それが、
手段を考えるな!
執着手放せ!
ってことだと思うんですね。
もちろん、バラが欲しいと思ったら、
バラを買いに行くのが一番早いかもしれません。
その時、執着していますか?
バラという存在を知っていて、
それが欲しいから買いに行く。
『バラを買う』と決めて、買いに行く。
ただそれだけです。
目の前にバラがないからと、
あれやこれや思考を巡らせて、
どうやったらバラが手に入るんだろうと苦しまないはずです。笑
バラを手に入れるために悩んで、
バラに似合う家を建てたり、
バラに似合う部屋を作ったりしないはずです![]()
バラを認識しているから、
執着なく手に入るはずで。
そして、花ってバラだけじゃないんです。
カーネーションもあるし、ガーベラもある。
お花屋さんに行けば、今までみたこともなかったお花たちが並んでいるんです![]()
自分を満たしてくれる花は、
潜在的に無数にあるということ。
幸せの形も、無数にあるということ。
現実に右往左往しても意味がない、
というか、永遠に欲しいものは手に入らないかもしれません。
もし今目の前に“叶っていない”願望があるとしたら、本当にその願望自体が存在していないか、
認識している向きが“叶っていない自分”か。
だとすら思います。
私たちって、
既に幸せを知っているはずなんです。
だから、幸せになりたいっていう願望が湧く。
幸せな自分を認識していますか?
幸せな自分を見ていますか?
自分への見方が変わると、
大きな肩の荷が下り始めるかもしれません![]()

ピンポイントで欲しいものには執着不要。
いえ、執着すればするほど遠ざかる。
既にある(知っている)と認識すれば、
きっと楽になる時思います。
(^-^)
それでは、また![]()
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